今井さんが有名な調教師(ちょうきょうし)に頼んでくれたおかげで、アートとハッピーは見違えるほど見事な歩様と技を見せるようになった。僕たち二人も普通なら指導も仰げない先生に紹介してもらい、馬場馬術のなんたるかを学んだ。今井さんの人脈恐るべしだ。

僕と有紀ちゃんは新宿のデパートで上(じょう)らん(乗馬競技用のジャケット)とキュロット、リボンのついたベルベットのヘルメットと長靴を誂(あつら)えてもらい、馬に負けない立派な選手らしくなった。

僕はその頃は小柄だったので競技会でも目立たなかったが、すんなりと背が高く、明るい栗色のカーリーなショートヘアがヘルメットから覗く色白の有紀ちゃんは、ルックスだけでも人目を引くのに、慣れない馬場で神経質になっているハッピーを乗りこなす落ち着いた技で、気難しい審査員たちをうならせた。

「誰だ、誰? あの子、どこの倶楽部? 将来が楽しみだねえ」

というわけで、有紀ちゃんは会場一の人気を集め、十五歳以下の馬場馬術初級で見事に優勝した。有紀ちゃんのお父さんは、まるで娘が中央競馬のG1レースで優勝したかのように大喜びだった。オリンピックの金メダルよりG1レース制覇のほうが今井さんにとってははるかに大事なことらしい。

有紀ちゃんが眩しいほど綺麗な女の子だということ、そして彼女以外の女の子を好きになるなんてありえない、と僕が確信した夏だった。

夏が終わると遅まきながらのんびり屋の僕も受験勉強に専念しなければならなかった。地元の中学に行くつもりだったのに、母がどうしても本郷にある中高(ちゅうこう)一貫(いっかん)の学校を受験させたいと言い出したからだ。父の出身校だったから僕も必死で勉強し、その甲斐あって合格した。

学校は中高を通じて運動部の部活が盛んで、多くの競技は全国レベルだったが、馬術部はなかった。僕は団体競技がちょっと苦手だったので、運動部はやめて広報部に入った。校内のイベントを仕切ったり、他校との交流を図ったり、ホームページで発信したり、学校新聞を作ったりするのはとても面白かった。下級生は下級生なりのお役目が忙しく、学校生活に没頭する僕は仲馬倶楽部に行く日が次第に減り、あんなに好きだった馬たちのことも次第に忘れていった。 

その年の十二月、仲馬俱楽部からクリスマスカードが届いた。トナカイの角をつけて赤い帽子を被った六頭の馬たちの前で、白いひげを生やしてサンタクロースの赤い服を着た健太さんが手を振っている写真に僕は大笑いし、次になぜか涙が出て居ても立っても居られなくなった。馬たちに、アートに無性に逢いたくなった。

「クリスマスに仲馬倶楽部に行ってみない?」

    

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