リリスはラフィールに帰るぞと目くばせすると、ぽかんとした顔の主人と番頭に向かって、
「薬を処方してやるから、あとで取りに来てくれ」
と言い置いて部屋を出た。家人も当の病人も呆気にとられ、何が起きたのかもわからないでいる間に、二人は来る時通ったままに裏口から外に出た。後ろから走って追いかけてきた少年だけが、ただ一人、勝手口から彼らの姿を見送っていた。
「凄いね、リリス。何をしたの?」
帰り道、ラフィールは我がことのように得意な気分になって目を輝かせたが、リリスはそれには何も答えず、ふうっと大きな息をつくばかりだ。城門を通り過ぎる頃になって、ようやくリリスが口を開いた。
「俺は、シルヴィア・ガブリエルがはね除けていた緊張がやっと少しわかったよ」
リリスの表情に晴れやかなものなどない。
「あの番頭が来るのが今晩じゃなく明日の晩だったらと思うとぞっとする。あのご内儀は助からなかったよ。そうなりゃ俺ばかりか、村人は逆戻りさ。村一つ背負うってことは、こんなに重いことだったんだな」
リリスはほっと肩の荷を下ろしたように、ラフィールに向かって小さく笑った。
ラフィールと別れて庵に戻ったリリスを、イダが何食わぬ顔で迎えた。普段ならば、年寄りのイダは、うとうと眠りはじめる頃なのだが、口には出さずとも起きて待っていたというだけで、彼がどれほど自分を案じてくれていたかがわかる。
背もたれ椅子からいつもどおりこちらを見上げたイダだが、瞳の奧が、どうじゃった?と気遣っている。
「誰かが薬を取りに来ると思いますが、どうか気にせずにお休み下さい」
努めて平然と言ったつもりが、照れたような喜びが顔に表れた。それを見てイダの皺だらけの顔も割れるようにほころんだ。
「ほっ! この国随一の医者を相手に、あの馬鹿たれどもが……。向こうは大層な金持ちじゃ、うんとふんだくってやるんじゃな」
これほど嬉しそうな顔をしたイダを見たのは、随分久しぶりだ。
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次回更新は12月17日(火)、18時の予定です。
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