下着は本当にボロボロになるまで着させられた。学校で体操服などに着替える時には下着姿になるので、年頃になってからは恥ずかしい思いをすることもあったが、私が子どもの頃は、本当に私の家は貧乏なんだと思い込んでいた。

とにかく、何かを買ってもらうことは、とても大変なことだった。

家族皆で初詣やお祭りなどに出かけた際、私が何か買ってほしいとせがんでも、絶対に買ってくれなかった。こればかりは本当に徹底していた。普段、我慢させていたら、せめて縁日の時くらいは何か買ってあげようというのが普通の親心ではないかと思うが、父は違った。

父が一緒ではない時、母だけの時に何か買ってもらった記憶はあるが、父がいる時は絶対だめだった。父にしてみれば、しつけのつもりだったのかもしれない。

しかし、私には楽しい思い出の一つも作れず、いつも我慢ばかりさせられて、子ども時代にちゃんと「子ども」を味わわせてもらえなかったという、どこか遠いところに忘れ物をしてきたような虚しくわびしい感覚は、いつまでも残っている。

こんなふうに父は日常の細かい出費にはケチケチしていたが、使う時には使っていたようだ。

そこそこの収入があるのに、生活費はケチっているのだからお金が余ってくるのは当然で、そのお金はどういうところで使われていたのか?

大人になってから気づいたことだが、車が数年おきに変わっていた。

比較的、交通機関が充実している地域に住んでいたこともあり、周囲に車を所有している家はごくわずかという時代だったが、父はいち早く車の免許を取り、車を購入した。