第4章 母と共に父母の実家訪問
初めて知った読書家の母
父の実家に泊まり、もう数日経った夜、月がとっても綺麗だった日のお話です。私は母と父の五番目の弟のお嫁さんと一緒にお月様を見ながら夜の散歩をしていました。
その時彼女が「わーお月様が綺麗、あのお月様は日本も同じお月様?」と素直に母に聞きました。私と母は最初びっくりしました。あまりの素直さに二人で笑いが込み上げてきたのです。そのお嫁さんは文盲なのです。母とそんなに歳は変わりません。
母は一九〇七(明治四十)年生まれです。その当時韓国の女性は無学文盲が多かったそうです。儒教では「女に勉強は必要ない」という思想があり、女に学問を勧めなかったようです。
植民地時代も女子の教育は遅れていたようです。字が読めないということは知識を得ることができないので、まるで幼稚園児のような質問をするのだと思いました。
そして彼女は私に「あなたのお母さんはね、姑が用事があるからと部屋へ呼びに行くと、いつも部屋で本ばっかり読んでいたの」と私に言いました。
母は父が先に日本に出稼ぎに行った時、父の実家で居候をしていました。その時のことを父の弟のお嫁さんは話してくれているのです。
私はびっくりしました。母が本を読んでいた? 嘘のようです。日本で彼女が本に目をやっていた姿は見たことがなかったからです。母はハングルの読み書きはできていました。よく親戚から手紙が来ると、読んで返事を書いていましたから。
しかし日本語は知りません。だから日本では本も読まなかったのだと理解しました。それにしても、ここ父の実家で母が本ばかり読んでいたとは。その言葉を聞いて私は本当に嬉しかったです。
母は漢方医の父から幼い頃にハングルを学んだのだと推測しました。やはり女でも字が読めなくては将来が大変だと思います。その後、私が韓国に何回か旅行した時、李光洲と言う韓国で有名な作家の本を買って、母にプレゼントしたことがあります。
彼女がその本を貪りつくように読んでいる姿に私は感動したものです。やっぱり私の母は素晴らしい。すごい読書家なのだと。
私は彼女と韓国へ行ったことによりたくさんの発見をしました。特に一番の発見は今まで知らなかった母を理解できたことです。
母は父の跡を追って、日本語も話せなかったのに三人の子供と共に東京の下町深川で極貧の生活をし始めました。そうして三十年、少し余裕ができて娘と実家を訪れることができました。彼女にも良い旅になったと思います。
私も兄弟の中で一人、韓国の両親の実家を訪れることができました。このことを兄弟にも知らせなくてはという使命感があります。両親がどんな思いで韓国から日本に出稼ぎに来たのか? それを在日である子孫はしっかりと知り、韓国の文化も知る必要があると思います。