第5章 韓国と日本で働く
私のアイデンティティ
その当時韓国は経済的に大変困っている時代です。ただ食事は安く、お昼の定食は百円出せば十分食べることができました。近くの市場に食料品を買いに行った時、市場の高齢の店員が、金持ちの奥さんだなぁーと思えるお客さんには安く売っているように感じました。
私はその状況を観察して、「私にも同じ値段でください」と言って物を買ったりしました。時には市場のアジモニ(おばさん)と喧嘩をしたこともあります。買い物の時、韓国ではまけろ、まけないといつも喧嘩のようでした。日本では考えられないことです。
私の心はだんだん萎えてきました。喫茶店に行くと、小さい子供が靴磨きの注文をもらおうと、座っている男性のところに行きます。その子供をまるで犬ころのように追い払う男性もいました。本当に今では考えられないくらいです。韓国にはもうそんな子供はいないでしょう。
この国はお金がなかったら人間ではないような態度を示していました。日本育ちの私にはそれがとってもつらかったのです。私は貧しい韓国社会でたくさんのことを学びました。
韓国で看護師の国家試験を受験
当時、ある人の縁で、ソウルのD病院に就職を紹介してもらえることになりました。しかし、それには韓国の看護婦の免許が必要です。
私は一念発起して看護婦の免許の試験を受けることにしました。厚い韓国の看護婦試験の問題集を三回ほど見直しながら受験勉強をしたのです。私の韓国語は独学です。