鎖(じょう)あけて月差し入れよ浮み堂

病雁の夜さむに落て旅ね哉

人に家をかはせて我は年忘

から鮭も空也の痩も寒の内

うき我をさびしがらせよかんこどり

しかし、良いことばかりではない。

物いへば唇寒し秋の風

江戸新芭蕉庵

元禄四年十一月、四十八歳、江戸帰着。橘町という所で越年。翌年の正月を迎え、自分にもある名声への欲も捨て去り一切放下すべく、雲水になり托鉢生活をしている(栖去の弁)。

元禄五年五月、 第三次芭蕉庵が、弟子の後援で新築され入居。

しかし江戸では、芭蕉の湖南滞在二年のあいだに、蕉風志向の気風が、すっかり荒れてしまっていた。特に、一番弟子の其角が、芭蕉の提唱する"かるみ"について取り組む素振りの無いことが、一番の悩みであった。

芭蕉は、新しい俳句の筋道として"かるみ"という概念を全面に打ち出している。日常の身近なものに素材を求め、子供にも理解できる程の平易な表現のなかに、高雅な情を詠み込むことを目指すものである。しかし、五月七日去来宛ての手紙に「中々新しみなど、かろみの詮議おもいもよらず」とある。

  

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