「今、急に言われても困るから、日を改めて……」同じように言ってみた。

そこまで言うとイケメンはその言葉を予想していたかのように「ハイ。分かりました。じゃあ、次、いつどちらへお伺いしたらいいか、こちらにご連絡いただけますか?」

サッとメモ用紙を渡された。携帯電話の番号が記されていた。用意周到。

「分かりました。では、後日、連絡します」喜之介はなぜか敬語でイケメンに言った。

そして、逃げる理由はないのだが、逃げるように早足でその場を立ち去ったのだった。

どうして今、この俺に弟子入りなんて?

喜之介の中では、その思いが強かった。

もうすぐ落語家生活三十年を迎える。そこで何か記念のイベントでも……と考える落語家は多い。周囲からも時々、何かやるんですか?と聞かれることがある。

同じ年に入門した同期の落語家の中には、落語家生活三十周年記念の落語会を既に企画している者もいた。マスコミで売れっ子の先輩落語家を早くもブッキングしたという話も漏れ聞こえていた。だが、喜之介はというと……。

何だか面倒くさいなあ。そういう思いが強い。

三十周年の節目に何かやるのも良いのでは?という前向きな自分もいることはいる。

しかし、大々的に落語会を催す以外でも良い。例えば、新しいことにチャレンジする。それでも良い。まぁ、そう考えてもなかなか具体的に出てこないところが何とも自分で歯がゆい。全く良いアイデアが浮かばない。

別に三十周年だからといって特別なことをせずに、普通にこのまま活動を続ける。それが一番楽な気がした。いつもそういう思考経路を辿り、現状維持に戻る。

これではアカン。そう思って、発想の転換を勧める新書を読んでみた。

なるほど。勝手に感心して、そういう考え方もあるかと納得し、全く違う方向性の行動も視野に入れた。

もうそろそろええか。そういう気持ちから、思い切った決断をするのも良いと考えだした。