7C

弥生の頃、十日(とをか)余り二日、さやけき陽の光華やかなりて、いとど増しぬるままに、梅あまた開(ひら)けぬ。然(さ)ては、家庭(いへには)のちひさき花桃からうして綻(ほころ)びぬるをおのが目の当たりにし、又の日のやうも、辺(わた)りまづいと隈(くま)無く明かりて、なほ、さらに今こそ言ふべうもあらざれ。

   

◆中つ方 日も隈無うて 花桃な 飽かぬ心地を 今のみぞ知る

【現代語訳】

この三月の頃の十二日、清く澄んだ陽の光は華やかで美しくなり、その様がますます盛んになるにつれ、梅が沢山咲きました。そして、家の庭の小さな花桃の木も漸くにして蕾となっているのを目の前にしました。次の日も、辺りは隅々まで光が照るようになり、何といってもやはり今こそ言うまでもなく喜ばしいのです。

◆三月も中頃、照る日も地上を隅々まで照らし、陰りもなく清く澄んでいます。これは庭の小さな花桃ですね、いつまでもずっと飽きないこの気持ちが、今漸く分かりました。

【参考】

・…ままに~…するのにつれて

・からうして=からくして~辛く(辛し[辛い、危うい]の連用形)+接続助詞「して」(~の様子で)のウ音便。かろうじて。

・今こそ…あらざれ、ほどこそ…めでたけれ~「こそ~已然形」は、係り結びの法則。

・言うべうもあらず→慣用句、言うまでもなく。言うべくのウ音便。

◆隈無うて~形容詞「隈無し」で「陰になる所がない。光が余す所なく隅々まで照らしている」の連用形で、ウ音便。

8C

更級の日記(にき)にさること書き交(か)はされしかし、とて、

   

◆また来むと 契り置きしの 梅の華 光の春に 風の春訪へ

【現代語訳】

「更級日記にはそのような事が手紙で取り交わされたわよね」と言って詠んだのは、

◆『更級日記』作者の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の継母が「これが咲く春にはまた来るから」と約束した梅の花ではありませんが、光降り注ぐ春に暖かな風の春が訪れるのをもう間もなくと頼みにするこの私です。

【参考】

◆「また来(こ)むと 契り置きしの 梅の華」は、本書作者が創作した序詞(じょことば)。『更級日記』の継母のお話「春にやって来る」に縁のある「風の春訪ふ」を導く。