「あの弟のことを、どこか妬ましく眺めた時期があったそうじゃ」
突然、イダがぽつりと呟いた。
「え? あいつがですか?」
初耳のリリスは思わず問い返したが、イダはどこか遠くを見て、頷きも否定もしなかった。
「愚痴ったんじゃのうてな、そう思うたばかりに素っ気なく接していたのが悔やまれるとな……」
回想するイダの言葉は力なく途切れた。
仮死で生まれたという特別な事情が起因してか、彼は母親とうまく縁を結ぶことができなかった。
口に出すことはなかったが、リリスはそんな彼の疵(きず)を知らないわけではない。
「潔う諦めたつもりのものにも心が残ると、いつか言うたことがある」
イダはまたぽつりと独り言のように呟き、はあ、と深いため息をついた。イダに、もうそれ以上言葉を繋ぐ気配はなく、リリスにも、もうそれで十分だった。
リリスは施療室で悶々と過ごしたシルヴィア・ガブリエルの年月を見てきたが、イダは突っ走らなければ間に合わない彼の残りの刻(とき)を間近で見たに違いない。
彼が諦め、心を残していったもの……そのやわらかみがリリスの心を締めつけた。
「カザルス様にご報告したら、今日のところは放免してやるよ。一度にいろんな連中に会ってへとへとって顔だな」
ラフィールの額をバルタザールがちょんと指で突いた。
【前回の記事を読む】「あいつの血を分けた弟のラフィールですよ!」ああそうか……と頷いてイダがしげしげとラフィールを見つめ…
次回更新は11月27日(水)、18時の予定です。