生後二ヵ月になって、あたしはようやく聖を実家に連れて行った。聖は機嫌が悪く、あたしの腕の中で激しく泣き続け、おかあさんはちょっと距離を置いて眩しそうに泣きやまない赤ん坊を眺めていた。あの日の夜、珍しく肩が張ってしまい、自分の肩から腕をもみしだきながら、聖を連れて実家に行ったら疲れちゃったわと零(こぼ)した。
あのときの慎さんの顔――忘れられない。感情を押し殺して硬直した頬の、小鼻の脇が痙攣するみたいに小さく震えた。それはぼんやりしていたら気づかないくらいの、わずかな頬の引きつりだったけれど、あたしにははっきりと見て取れた。
あれ以来、聖を連れて実家へは行っていない。
ほんの思い付きだったが、もしおかあさんが会社を出たところに行き合うことがあれば、道端で気軽な感じで、四ヵ月になった聖を見てもらうことができるだろうと思った。実家に見せに行ったときは六千グラムなかった聖が、きのう量ったら七千を超えていた。あやすとこちらをしっかり見据えて、にいっと慎さんそっくりに笑う。そんな様子をおかあさんにも見てもらいたい。
片側一車線の、狭いのに交通量の多い通りに面して島田製本はある。お隣は運送会社で、斜向かいはお巡りさんが滅多にいない交番だ。交番の机の上には電話があって、御用の方は110番してくださいというプレートが置かれているそうだ。
先週実家に寄ったとき、おとうさんがその話をしたのは、きっと笑い話のつもりだったのだろうと今になって気づく。たしかに可笑しい。だけどあのときあたしは笑えなかった。おとうさんのことを無神経な男だと思った。
なんとなく電信柱に隠れるようにして島田製本を覗くと、おかあさんはまだ仕事中だった。白いヘルメットをかぶり、黄色いフォークリフトの運転席にいる。まだ新しいせいか、おかあさんの手入れがいいのか、白いヘルメットは西日を浴びて明るく輝いている。シャッターの上がった店の奥が仄暗いので、なおさらだ。
ヘルメットが明るい分、その下のおかあさんの顔は黒く翳(かげ)っている。働くようになって日焼けしたのかもしれない。家に戻ってきたばかりの頃もすごく痩せていたけれど、頬がいっそうこけて、頬骨の下に影ができている。
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次回更新は12月3日(火)、21時の予定です。
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