第二章 日常を生きぬく事 くじけそうな時は

映画『父と暮せば』井上ひさし 原作 
黒木和雄 監督 パル企画 二〇〇四年 

何かをしなくては生きては行けない

井上ひさし氏の戯曲の映画化である。広島で被爆した女性がある日、図書館で出会った青年にプロポーズされた。原爆病の発症や遺伝による子供への影響を恐れていた彼女は、恋をするのに億劫になっていた。

そんな時出てきたのが亡霊の父、その父と議論しながら人生の問題を解決してゆく……というストーリーである。井上ひさし氏の原作も素晴らしかったが、この映画もよくできていた。原爆の悲惨さを改めて問う映画であり、被爆者が受けた、後世まで残る苦しみをよく表している。

原爆で彼女が受けたのは最近の言葉であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。一般の人が生きる上での幸せだと思う、恋愛、結婚に対し彼女は深く悩むのである。

自己を規制して、自分は結婚してはいけない、恋愛してはいけない、子供を作ってはいけない、

そして幸せになってはいけないと。

この苦しみは察して余りあるものであり自分一人では抱えきれない問題でもある。彼女の原爆で死んでしまった親友の母から、なぜあなたは生きて、娘は死んでしまったのか? と問われ、自分が生きていることが申し訳なく思うシーン、原爆の下では死ぬのが当たり前、生きているのがおかしいのだ……という思いはここから来ている。

亡霊として出てくる父は、被爆して倒壊した家屋の下敷きになり焼け死んでしまった。その父を助けられなかったヒロインの苦しみも大きいものがある。家に火が回り、柱に足をはさまれた父親を助けようと必死にあがいたが、もう打つすべがなくなった時、父親がジャンケンをしようという。

そしておまえが勝てば一人で逃げろという……厳しい選択をせまるジャンケンである。父はいつもの「やり方」で娘を勝たせようとする。それは、出すまえに「オレはグーを出すからな……」というのである。

しかし、ジャンケンはいつまでも「あいこ」が続くのである。この場面は涙ものである。父と娘の苦しい、つらいジャンケンなのである。最後には娘は父親を置いて逃げることとなるのだが、娘は父親を見捨てたという罪悪感にずっとつきまとわれ続けることとなるのだ。