何十年も触らなくなり、音符もハ長調ぐらいしか読めなくなったピアノのレッスンでもして、指先を使い老化防止でもしようか、それとも憧れのフラダンス、運動しない歴70年のこの身体に喝を入れる為にトレニーングジムにでも行こうか、しかし、何故かどれも心がトキメかない。やっぱり一番好きな事を始めようと思った。

北斎が芸術なら、私は下手でも良いから感動したこと、悲しかったこと、忘れたくない出来事、みんな書き止めておきたいと思う。やっぱり文章を書くことが好き。これが結論だった。

サチさん

ある休日、私はノンビリとパジャマのままニュース番組を見ていた。

「今朝のコーヒー豆は、ママの好きなキリマンだよ!」。

お気に入りのカップに夫がたっぷりとコーヒーを入れてくれた(子供達は私のことを「お母さん」と呼ぶが、夫は未だに「ママ」と呼ぶ)。

ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。まだパジャマの私。夫に「私はパジャマだわ。お化粧もしてないし。誰かしら? 出て出て」と夫を促し出てもらった。夫もパジャマだったが、男性ならパジャマでも大丈夫と勝手に決めている私。

「ママー。サチさんご夫婦だよー」と夫が私を呼んだ。サチさんとは本当に久しぶりである。私はパジャマのまま飛び出して行った。

サチさんは、はにかんだ笑みを浮かべて「チーフに桃!」と箱を差し出した。私はその箱を受け取りながら「サチさん元気だった。ありがとう。わざわざ来てくださったのね」(私は美容関係のサロンを営みチーフと呼ばれている)。

その後サチさんは「にこにこ」するだけで何も話すことはなかった。いつも髪を短めにしていたサチさんの髪はだいぶ伸びていた。ご主人が「さぁ帰ろう」とサチさんを促して車の助手席に乗せて帰って行った。以前のサチさんなら、もっともっと話をしたのに。

私のサロンの20周年祝賀会の時は紫色の着物をビシッと着てテキパキと受付をしてくださったサチさん。あれからもう10年の月日が経つ。この数年で彼女は色んな記憶が、ボロボロとこぼれていってしまっている。多くのことを忘れてしまっているのだ。

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