それから三日後のことだった。カーシャが鐘塔にのぼっていくのと入れ替わりに、食料品店の前に一台の車が横付けされた。いつもの黄色いスポーツカーではなく、まっ黒な高級車だ。政府から役人が視察にきた時でさえ、ここまでいい車には乗ってこなかった。
顔が映りこむほどに磨かれた車からおりてきたのはやはりジョジョだが、後ろのシートにもう一人乗っているらしく、細く開けた窓越しに何か喋るようなそぶりを見せてからこちらへ向かってきた。
ジョジョが広場のまん中にたまっている数人の男たちのところに向かうのを見送って、車中の男は窓を閉めた。
白い革張りの後部シートに座っているのは、年のころなら六十くらいの、ウエーヴのかかった白髪まじりの男だ。細い顎とまっすぐに引き締まった形のよい唇が、若いころの二枚目の風貌をうかがわせる。膝の横にはベージュのカシミヤコートと茶色い中折れ帽が置かれ、無意識に握りしめたステッキの銀の持ち手には、後ろ足で立ちあがった馬の彫刻が施されていた。
二十代で結婚した妻との間には三人の娘がいたが、念願の男の子は生まれなかった。だから、外の女が産んだ子だが、四十をすぎてようやく男の子を授かったときは格別にうれしく、天にも舞いあがる気持ちで、空を意味するシエールと名づけたのだった。
イェンナの街の聖ミカエル聖堂の真向かいの部屋に母子を囲い足繁く通った。女に会うよりも、かわいいシエールの顔が見たかったのだ。あの大きな菫色をした瞳……。
赤ん坊のころはまさしく天使のように愛らしかった。指を握らせればちゅうちゅうと吸い付き、くりくりとした目でこちらの顔を見あげていた。よちよちと歩くようになると、小さなものを目敏く見つけて拾っては自分のところに届けにくる。あの愛らしい指でつまんで持ってくるものはなんでも宝のように思えた。
おとなしい子で口は遅かったが、「カーシャ」とだけは言えた。
「パパだ」と何度教えても、女が自分に呼びかけるカーシャという名を覚えてそればかりを繰り返していた。
【前回の記事を読む】「おたく、あの子を捨てた親のことを何かご存じなんですか」—カーシャの名前を出すと、男は「まちがいねえ…どこにいる?」と…
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。