第2章 DOHaD学説
1│バーカー仮説からDOHaD学説へ
3│DOHaD研究の歴史
2009年、国際DOHaD学会が軌道に乗ったとして、グラックマンとハンソンは、これまでのDOHaD 理論発展の歴史を振り返り、今後、公衆衛生上の予防医学的役割を明確にするためとして、学会誌に総説論文を書きました1。
この総説論文には、概略、以下のことが述べられています。
1934年、カーマック(Kermack)らによって、小児期の生育環境(15 歳まで)が、成人の死亡率に関係することが報告された。しかし、リスク因子についての詳細な記述はなく、この問題は、その後長期にわたって人々の関心を集めることはなかった 2。
1970年代になって、東ドイツの内分泌学者ドーナー(Gunter Dorner)のグループが、出生前後の環境が、のちの動脈硬化症、肥満に関連していること、また、妊娠糖尿病が、のちの糖尿病に関連していることを報告した。
1979年 実験的に作った糖尿病ラットの母親は、子孫に代謝異常を伝えた 3。
1979年 フォルスダール(Forsdahl)は、小児期の貧困な家庭環境は将来の心血管疾患と関連があると指摘した 4。
1985年 フィンランドからの報告で、小児期の貧困と、虚血性心疾患、心筋梗塞による死亡との関連が示された5。
1986年 バーカーが、最初の記念碑的論文をLancetに報告。
1988年 スウェーデンから、低体重児は高血圧のハイリスク因子であると報告された6。
この後、DOHaDを支持する動物実験が多数報告されてきた7。