町並みにすら気後れしそうだったが、将軍の前に出るに至っては、口から心臓が飛び出すかと思う程緊張した。事前に教わった作法に従って部屋の外で土下座していると、奥から将軍の若々しい、張りのある声が聞こえて来た。

「ご苦労だったな、世阿弥。昨日の公演は素晴らしかった。特にそちの歌が良かった。観阿弥の女物狂いと自然居士も流石に見事ではあったが、ちと長くてくどい所があった様に思う。融の大臣は文句無く良かった。短くて、音楽が生き生きとしておった。あれだけ聴衆が盛り上がるのを見たのは初めてじゃった」

「貴重なご感想、有難く存じまする」

世阿弥は、素人ながら的確な指摘に驚いた。そしてその声に、得も言われぬ温かさと包容力を感じた。身近に顔を見る前に、声そのものに魅了された。

「もそっと近う、ここ迄寄れ。そちと二人で話がしたい」

義満が顎で指図すると、強張った表情の周りの武士達が素早く退いた。世阿弥は予想もしなかった展開に緊張を抑えながら、恐る恐る部屋に躄(いざ)って入った。

将軍の居室は、想像していたより遥かに簡素だった。初めて対面した将軍の目は大きく輝いて、眩しい程だった。その輝きが全てこの瞬間自分だけに注がれているのが、奇跡の様に思われた。

「そちの事はバサラ大名の佐々木道誉からさんざん聞かされていた。あの口の悪い男がそちの事となると絶賛していたぞ」

「道誉殿はいつも、上様は本当に賢くていらっしゃる、と仰せでした。恐らくは日本の歴史上最もご聡明な将軍であらせられると迄」

「ほう、あの道誉がわしの事をそんな風に言っていたか。あれは誠、桁外れな男であった。奴の八年前の勝持寺での大宴会の事は聞き知っているか」

「確か京都中の芸能人が集められたとか」

「そう、寺の高欄は金襴(きんらん)で包まれ、床には異国の敷物が敷き詰められ、それはもう、目も覚める様な光景だったらしい。それだけでは無い、庭の桜の大木四本を真鍮の花瓶で覆って大きな生け花に見立てたとか。

しかもその周りに机を並べて最高の香を丸ごと焚いたものだから、庭中香りに包まれて、夢の中にいる様な心地がしたらしい。そこで舞ったり歌ったりしていた芸人には高価な衣服が惜しげなくどんどん与えられたそうじゃ。

幔幕の中には諸国の珍味が並べられ、茶の銘柄を当てる賭けには豪華な賞品が用意されていたとか。それも、同じ日にここで宴会を催していた斯波高経に恥を掻かせる為だったのじゃがな」

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