実は、退職後もオンライン会議などで、尊敬する元上司と連絡を取っている。
その中で、元上司から「自分が参加している勉強会で、森本あんり『不寛容論~アメリカが生んだ「共存」の哲学~』(新潮社 2020年)が話題になっている」という話を聞いた。
当初は何にも思わなかった。もともと読書が苦手だったので「どうせ自分には難しいだろう」と関心も示さなかった。が、何気なく見た書籍通販サイトに掲載されたカバーデザイン。
「ちょっと知的でかっこいいな」という不純な動機に誘われて思わず購入。「1600円(税別)? 高いな」と思いつつも、到着するなり読み始めた。すぐに後悔。やはり難し過ぎる。
それでも気を取り直して読んでいくと、高校時代、世界史で学んだ清教徒革命の記載に、ささやかな喜びを感じた。さらに読み進めると、最終的に「寛容性を求めてアメリカに移住したはずの清教徒が、アメリカの地で他者に対して不寛容になっている」という内容を理解した(本来はもっと深い意味や内容なのだろうが)。
自分なりにそうした著書のテーマめいたものを実感した時に、言葉にあらわせない達成感・充実感を覚えることができた。さらに「キリスト教を理解しないと、欧米の話にはついていけないな」と強く認識することとなり、キリスト教が新しい読書テーマになっていった。
このように自分を客観的に眺めることで、「もしかして少し賢くなったかも」という境地に立つことができた。
つまり、そもそも読書は苦手だったが、「読書は達成感や充実感を味わうことができる」と実感した。「はんたい(対称性)」を発見した、ということになると考える。
この経験が私に火をつけた。
著名人の著書について、サイトで検索することが楽しみとなった。
例えば、知人から案内された外山滋比古氏。文学博士・評論家・エッセイストとして著名な方であることは知っていた。しかし著作を読んだことはない。それならば、という連想ゲームの末に、手頃なものを購入。