考えまいとしてもどうしても囚われてしまうから苦しんでいるのに、気にするな、だと。ただ、ストレスが昂じてお袋が俺に手を上げたときだけは、止めに入ったっけ……。
急に、どこからか幼い子の歓声が聞こえてきた。大勢いる。子供の声が聞こえるはずのない場所で聞こえる不思議に、俺と妹は顔を見合わせた。塀の外からではないような気がする。この小屋のすぐ裏側――。
俺は小屋を出て声のする方を見た。白くこんもりと満開になっている雪柳の低い生垣の向こうは、緑に塗られた板塀だ。そのすぐ裏側に子供たちが大勢いるらしい。喫煙所の親父を振り返ると、キャディのばあさんと目があった。
「保育園だよ」
大きなつばの下で朱色に塗られた唇が動いた。よく通る、無防備な濁声(だみごえ)だ。化粧がやけに濃いのは日焼け対策か。
「女の刑務官さんにはママがけっこういるからね」
女の説明に、隣で親父がうんうんと同意している。そうか、職住接近……いや、それとは違うか。
「保育園だってよ」と今のやり取りが聞こえているはずの優子に声をかけると、小屋の中の優子は柔らかな表情でこくんと肯いた。かすかに笑みを浮かべて子供たちの声にじっと耳を傾けている。その顔はもう幼い子を持つ母親のように見えた。
【前回の記事を読む】人間を徹底して効率的に管理する、近未来要塞のような建物だった。この東京拘置所に母はもう居ないということは分かっていたが…