冬鷗
昭和の俳諧師と呼ばれた秋元不死男は、横浜市の生まれである。戦時中、彼は横浜の鶴見製鉄所を訪れた際の一句が不穏であるという理由で横浜山手警察署に連行され二年間も拘留された。
冬空をふりかぶり鉄を打つ男 不死男
原因となった一句である。昭和十六年二月四日、彼が三十九歳の時であった。彼のこの句が、資本主義を打ち砕こうとする共産主義の意図を含んでいると疑われたのである。こんな理不尽がまかり通った言語弾圧の時代があり、俳壇も巻き込まれたのである。句の中に「枯菊」とあれば、天皇の菊の御紋をないがしろにし不敬であると標的にされたともいう。
国の意向に背くと無理やり判断された多くの俳人が治安維持法違反の名目で逮捕された。昭和十五年から十八年の間に起きた京大俳句に端を発する昭和俳句弾圧事件である。軍部、警察の横暴を許した当時の日本は、国民の利を二の次に今ミサイルや核の実験を繰り返す某国と何ら変わりなかったと言えるかもしれない。
横浜港大桟橋の傍らに秋元不死男の句碑がある。大さん橋ふ頭ビルの壁面に掲げられた句碑の銅板は初冬の澄んだ空の陽光を反射していた。
北欧の船腹垂るる冬鷗 不死男
折しも世界一周旅行中の豪華客船が、桟橋に見上げるような白い巨体を横付けし、デート中の何組ものカップルが見物している。
戦後、秋元不死男は、昭和五十二年に逝くまでに庶民的な好ましい句を数多く残した。彼の魂は今、平和な故郷横浜のこの地をきっと楽しんで散歩しているに違いない。
へろへろとワンタンすするクリスマス 不死男
子を殴(う)ちしながき一瞬天の蝉 不死男