四

わたしは『銀嶺新聞』から、慰霊碑が建てられたことについての感想を求められ、次のような談話を寄せた。

それは、いまこの時代を生きる人だけでなく、はるか先の未来、もしかしたら、平等で豊かで自由になった社会で、この談話を目にするかもしれない人、この言葉を理解できる人、届くべき人へ向けたものだった。

――城屋の工場で働いていた同僚たちの人生は、ひどく限られたものでした。

彼女たちは、望みどおりの人生を生きることはできませんでしたが、自分が生きるべき道は、はっきりありました。

そうした人生の中で、生きていくために、家族のために、いっしょうけんめい働いていました。そこにはつらいことだけではなく、楽しみがあり、笑いがあり、ささやかな夢がありました。

貧しかったからといって、短かったからといって、悲劇的な終わり方をしたからといって、その人生を不幸とか、むなしいと決めつけることは、誰にもできません――

【前回の記事を読む】いい社会をつくるのは国ではなく、国民ではないのか。ポマードでベタベタしたおじさんは、主語を言いまちがえたのか?

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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