「毎日毎日、一日中狭い場所に閉じ込められて、ミシン踏み続けて、安い給料しかもらえなくてさ。肩は凝るし、目は痛くなるし、なぜわたしが、あんな目にあわなきゃならないの!」

わたしは突然、怖くなった。

由香李は本気で城屋を恨んでいた。ほんとうに、自分は不幸だったと思い込んでいるのだ。わたしはそのときはじめて、由香李が嘘をついていたわけではないことに気づいた。

由香李はおそらく、西純さんや梁葦さんのような人に、つくりものの被害者意識を植えつけられて、自分も同僚たちも不幸だったと、記憶を変えてしまっているのだ。

なんということだろう。これまでの自分の人生を、自分で踏みにじって……。

由香李は誰がどう見ても、仕事ができる人ではない。由香李にとっては、城屋の工場のような所で働けたことは、むしろ幸運だったのではないか。

そうやって謙虚にかえりみれば、自分は決して不幸ではなかったことがわかって、あのような人たちを味方とまちがえることもないのに。

わたしの心を読めるはずもない由香李は、

「生まれで人生が決まるなんて、おかしいわよ」と、捨て台詞を吐いて、去っていった。

生まれである程度人生が決まってしまうのは、社会の現実である。

経済的、社会的なことだけではない。才能も容姿も体質も、ほとんどは遺伝として受け継ぐものである。それに、愛情ある賢い両親に育てられた人と、暴力をふるう愚かな両親に育てられた人の世界はちがうだろう。

でもそれを、「おかしい」と決めつけてしまっては、人生は不満だらけになってしまう。自分で人生を切り拓こうという、前向きな意思が失われてしまう。

わたしは、由香李のこれからの人生が、なんとなく想像できた。

彼女はたぶん、この先一生、不運や困難にぶつかるたびに、それを他人や社会のせいにするのではないかと思う。

望みどおりの人生を生きられるのはあたりまえ、不幸や苦労なんて、あってはいけない。それは自分の努力ではなく、誰かがなんとかしてくれるものだ、などと考えるようになる。

そしてそのはてに、感謝も思いやりもまったくない、不満だらけの、恨みがましい人間になるのではないかと思う。

それは、満ち足りることもやすらぐこともない、苛酷な人生だと思う。