第六章 陰のない楽園
二
ところでわたしは、この黒樫清という名前をぼんやりと覚えていた。わたしは黛さんに言った。
「この人、昔、たしか少年雑誌に探偵小説を書いてた人ですよ。わたしは読んだことないですけど、名前は見たことがあります」
竜浜遼太朗は不自然に痩せこけていて、薬物中毒者のようだった。しかし幇間としてはそこそこの売れっ子で、宇宙人(いるのか?)に人体実験された体験談が、人気だったという。
さらに二日後、『銀嶺新聞』に、取り調べの様子を報じた記事が出た。黛さんによると、黒樫は、
「軍人がいなくなれば、戦争はなくなる」
と、主張しているという。
竜浜の方は、黒樫と知り合ってから犯行に至るまでの一部始終を、滔々(とうとう)と語ったという。取り調べにあたった警察官によると、まるで講談を聞いているようだったとか。
二人とも、真面目に取り調べに応じていない様子が伝わってきた。
世間ではさまざまな憶測や噂が流れたが、この暗殺未遂事件には黒幕がいる、という点では一致していた。
黒樫は事件の少し前に、『天国の饗宴(きょうえん)』という大人向けの小説を出版していて、そのことも記事に出た。
黛さんはその本を読んで、わたしに内容を話してくれた。
「八年前の戦争で勝ったのはフルグナで、雉斉はフルグナに占領されたけど、全統主義のもと、みんな平和でしあわせに暮らせるようになった、という話なんだよ」
わたしはあきれて言った。
「なぜ自分たちがいまの政府に勝って、全統主義の国をつくった、という物語を書かないんでしょうね」
「結局、自分たちの力ではいまの政府に勝てないから、フルグナが倒してくれればいいと思ってるんだよ」
わたしは、敬明が言っていたことを思い出した。
「自分たちはフルグナにうまく取り入って、優遇してもらうつもりなんでしょうか。でも、実際はどうなんでしょう。あまりいい目は見られない気がしますけど」
「ムシのいいことばかり考えてるんだろうよ」
黛さんは、長いため息をついて言った。
「まっとうな努力もしないで、外国の威を借りていい思いをしようなんて、全統主義がどうこう以前に、卑しいよ」
黒樫も竜浜も、「心神喪失」とされた。裁判は開かれないという。二人の名前は、すぐに世間から忘れられた。
わたしは、あの運転手は当然クビになっただろうと思っていたが、異動になっただけだということだった。