三月も半ばを過ぎた。

落雷事故があった工場の跡地に慰霊碑が建てられ、その除幕式が行われることになった。

慰霊碑は蒐優社が音頭を取って建てたもので、わたしはもちろん、除幕式には呼ばれなかったが、万由香李があいさつに立つという話を聞きつけ、行ってみることにした。

工場の跡地は空き地のままで、百人ぐらいが集まっていた。わたしはその中に紛れ込んだ。

慰霊碑は縦に細長い石で、すぐ横に立っている由香李の肩の高さほどあった。表には、あまり上手には見えない字で、なにやら刻んであった。裏には、亡くなった人たちの名前が刻んであるという。

あいさつに立った由香李は緊張した様子もなく、自分たちが工場でいかに虐げられ、つらい思いをしていたかという大嘘を、ペラペラとしゃべった。

いかにも慣れた様子だった。同じようなことを、あちこちでしゃべっているらしい。この場所で、そのような嘘をつくことに対する後ろめたさは、みじんも感じられなかった。彼女は、ツヤツヤの黒いショルダーバッグを提げていた。

腹話術の人形がしゃべっているみたいで変だったけど、みんなは神妙に聞いていて、わたしは叫び出したいのをぐっと堪(こら)えた。

しかし、騙される人ばかりでもないようだった。

糸森さんによると、由香李は言うことがコロコロ変わるし、辻褄が合わないことがいくつもあって、彼女の証言を怪しむ声も、けっこうあるという。

次に、髪がポマードでベタベタになっているおじさんがあいさつした。蒐優社の社員だという。おじさんが最後に、

「このような悲劇は、二度とあってはいけません。国は、みんなが平等で豊かで自由に生きられる、しあわせな社会をつくらなければなりません」

と言った。聞いている人たちの間で拍手が起きたが、わたしは変だなと思った。

いい社会をつくるのは国ではなく、国民ではないのか。おじさんは主語を言いまちがえたのか? いや、そうではない。おじさんは、国がなんとかしろ、と言っているのだ。

住みやすい、いい社会をつくる責任を国に丸投げしたら、フルグナみたいな国になるんじゃないかな。

それにしても、落雷という不運な事故で亡くなったことを素直に悼めばいいのに、なぜわざわざ、奴隷のように働かされていた、などというつくり話をくっつけて、ことさら不幸にしなければならないのか。それが亡くなった人たちの人生を踏みにじるものだということが、わからないのだろうか。

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次回更新は10月26日(土)、11時の予定です。

 

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