鬼の角
これらの部屋は仕切りの襖を外すと八十畳の大広間となる。ここに来るといつも、日本史の教科書に載っていた大政奉還の二条城の大広間の絵を思い出す。更に廊下側の襖と雨戸を外すと二面から表庭の全景を望む形にすることができる。
正面には平らな芝地があるが、ここは昔能舞台が設けられていたとのこと。奥羽の峰々を借景とした素晴らしい物だったことが想像できる。
この大広間の周りの外廊下を表庭沿いに更に進んでいくと、板壁で行き止まりになっている。しかし、その板壁には工夫が施されていて、いくつかの桟木を動かすと開く仕組みの隠し扉がある。
そして、それを抜けると離れに続く屋根つきの渡り廊下に出ることができる。これが表庭と裏庭の境界になっているのだ。
渡り廊下を十メートルほど行くとその先には、錦鯉がたくさん泳ぐ池の上に、裏山を背景にして浮いているように見える離れがある。客間としても茶室としても使えるようになっている。
表庭はここまでつながっているのだが、中高木をうまく配して大広間からは見えないようになっている。この離れを隠し部屋のように扱っている理由は、爺ちゃんもよくわかっていないと言う。
*
「こんにちは」
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、きたよー」
俺と妹が、リュックサックを囲炉裏のある板の間に下ろしながら、大きな声で来訪を告げると、ドカドカと足音を鳴らして奥から上下紺の作務衣姿の爺ちゃんが出てきた。俺たち孫の顔を見たとたん、皺が深くていかつい顔が急に緩んでしまう。
「翔太、美香、よく来たな。ささ、上がって」
祖父は、待ちかねていたのだろう。少しウエーブのかかった白髪をきれいにオールバックにしておめかししている。
「婆さん、孫たちが来たぞ。お茶の準備できてるか?」と奥の台所にいる祖母に声をかける。父が無視されているような感じが少し気になる。
祖父の家は、江戸時代にはこの坂枝村だけでなく、この地域の十カ村の農家を束ねる大庄屋で、江戸時代中期には名字帯刀が許されていた。「中村」という名字はその頃からの物だという。
しかし、幕末に官軍に逆らって勤皇佐幕を唱え、奥羽列藩同盟に参加したこの国は、戦に破れて一時的に官軍による占領状態となった。その際に、中村家が小作農家を抱えて所有していた広大な農地は、その八割方が接収されてしまった。
そして、「解放」という名の下、それらは小作農家に均等に分け与えられた。官軍にとって、この東北の地で恐ろしいものは、敵対する列藩ではなく、その土地の領民だった。だから、小作農家を土地持ちにしてやることで、薩摩や長州などのよそ者の侵攻に対する反発を抑えようとしたのだ。
それでも尚、中村家には広大な敷地の家と、その家を維持していくために必要な農地が残された。