眠れる森の復讐鬼

信永梨杏はあまり目立たない常におとなしく控え目な生徒だった。よく言えば影がある、悪く言えば少し陰気臭いところがあったかもしれない。海智は高二の時に彼女と同じクラスになった。特に何の接点もなく、彼女を意識したことはそれまで一度もなかった。

丁度今頃の季節だったろうか、下校時に急に土砂降りの俄雨が降ってきたことがあった。海智は裕子が天気予報を見て無理矢理持たせた傘のおかげで無事帰途に就くことができた。

その道中で黒い長髪もセーラー服もずぶ濡れで、ブラジャーのラインまでくっきり見える背中を猫のように丸めて傘も持たずに歩いている女子高生の後ろ姿を海智は見た。いつもなら無視して足早に通り過ぎるところだが、豪雨に打ちひしがれたような姿が何とも気の毒な様子で、彼はつい彼女の頭上に傘を差し出した。

振り返ったのが梨杏だった。雨に濡れた白い頬は美しい輪郭をしていた。彼女は「ありがとう」と一言だけ言って、後は恥ずかしそうにうつむいたまま海智の傘の下、共に歩いて行った。

「もうここでいいです。ありがとう」

自宅近くまで来ると彼女は深々と頭を下げてから走り去った。

その後はいつもと同じように学校で出会ってもお互い軽く会釈をする程度の間柄だった。ただ、以前と比べるとしばしば視線が合うことが多くなったような気がしていた。

九月のある日、突然梨杏から海智の元にメールが来た。「お話したいことがあるので、今度の日曜日に山本公園でお会いできませんか?」と書かれていた。彼は疑問に思った。彼は彼女にメルアドなど教えていない。一体誰から聞いたのだろうか。

それに何の話だろうか。まさか告白されるのだろうか。彼女にはたった一度だけ親切にしてあげただけである。ただそれだけで好きになるなどということがあり得るのだろうか。そういった疑念が彼の心の中で渦巻いていた。

もし彼女が彼の好みのタイプであれば、興奮と高揚感でそのような仔細は全く気にならないのだろうが、彼には彼女を恋愛対象として見ることはできそうになかった。