夫となる剛三はつねより十六歳年上の大工で、背が高くがっちりした体格の男だった。親戚の男と挨拶を交わしている様子からは、職人らしい律儀さが感じられた。

舅の忠助は背中に大きなコブがあり、緊張して体を硬くしているつねを、ぎょろりと鋭い目で眺めた。うまくやっていけるだろうか、と彼女は早速不安を覚えた。

新参者を一目見ようと、近所の者たちが縁先まで集まってきた。だが暗くなっても、何人かの子供が帰らないまま、庭先でじゃれあって遊んでいる。

これはどういうことなのかと、つねが怪訝に思っていると、剛三が子供らに、

「お前らの新しいおっ母ちゃんだ。上がって挨拶しろ」と大声を出した。

 

次々と、小さい子供たちが縁側から座敷に上がってきた。

どの子も痩せてすすけた顔をしており、鼻水をたらしているのもいる。着物は汚れ、破れも目立っていた。末娘はまだオムツがとれていない様子で、姉たちの後ろから顔を覗かせた。

なみは自分たちを取り巻き、ジロジロ見回す子供たちに恐れをなしてか、

「おっ母ちゃん、帰ろう、帰ろう」

としきりにつねの着物の裾を引いた。

「話が違う」つねは後悔した。

二十三歳になったばかりの女が、突然、夫と舅と、自分の子供を含めた、七人の子持ちとなって、一家の面倒を見るというのはどう考えても無理だ。とうていできるとは思えない。十分確かめずに話に乗ってしまった自分が馬鹿だった。 晩には汁と新香を添えた麦飯が出されたが、空腹であっても箸は進まなかった。

その夜、つねはなみを抱いて、剛三に背を向けたまま横になった。寝床の中でまんじりともしないまま、夜が明けるのを待った。

鶏の声が聞こえだす頃、荷物を抱え、なみを負ってそっと門を出た。

十一月も終わりの朝は寒い。

まだ寝ているなみが寝ぼけ声を出さないように、気を払いながら道を急いだ。 実家に戻ったところで、その後どうするのか何の見通しもない。親たちは、すぐ戻ってきた娘になんというだろうか。

幼児を抱え、仕事に出るにも無理があるだろう。あれこれ考えながらいると、足取りは次第に重くなった。

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