【前回の記事を読む】生活はようやく安定してきたものの、再婚してから生まれた子供に「心臓に雑音がある」と告げられたつね。それ以来…

海鳴りの聞こえる町 

子供の四季は、地域の行事とともに記憶される。

春は、長福寺の甘茶祭りから始まった。

三々五々集落にやってくる、遍路たちのお接待にと各家が用意した、人参と油揚げを炊き込んだ混ぜご飯のおむすびや、あんでくるんだぼた餅は、家族にとっても楽しみであった。 安産子育ての浅間様の祭礼では、千津は夏の早朝に浴衣を着て、兄姉や、近所の子供たちと連れだって、はだしで神社まで歩いて行き、お祓いを受けた。

七夕の時は、剛三が真菰(まこも)を河原から刈ってきて二頭の馬をこしらえ、軒先に立てた竹飾りの下につないだ。

お盆になるとミソハギや、きゅうりやなすを刻んだものを墓前にお供えし、先祖の魂が家に戻る目印になるよう、どの家でも門口でわらを燃やした。

小正月は、紅白の団子を木の枝先に刺し、繭玉飾りを作った。かつて盛んだった養蚕の名残を伝えるもので、今では見かけることもなくなった。

千津が小学校に上がって間もなく、剛三は娘と一緒に風呂に入ると、それまでの百までの数の読み上げに代わり、かけ算九九を順番に教えて暗唱させた。   

つねは「ただいま」と学校から帰った千津に毎日、十円玉を胴巻きから出して与えた。

近所に、小遣いを親からもらえる子供があまりいない中、巡回の紙芝居や駄菓子屋で買い食いをしている千津のことで、東京から親戚を頼ってこの町に疎開していた、同級生の和子の母親が意見を言ってきたことがあった。