しかし、つねは取り合わなかった。
「学校で、勉強を頑張っている娘に褒美をあげて何が悪い」というのがつねの考えだった。そこには努力を金や物で計ろうとする価値観がみられた。
兄姉たちは雨の日や農閑期には、千津をよく映画館に連れて行った。
町には富士シネマと松竹座の二つの映画館があり、二本立て、三本立ての映画を見ようと人々でにぎわっていた。
スクリーン前のエプロンステージでは、歌手やバンドの実演もあった。
「夜のプラットフォーム」を歌う淡谷のり子の、見慣れない、つけまつげやアイシャドーで化粧した顔を気味悪がり、千津は徳一の首にしがみついた。
子供には、美空ひばりや中村錦之助が出てくる、チャンバラ映画が人気だった。
松竹の木下恵介監督の、「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾歳月」は、町の人たちの評判を呼んだ。
テレビ放送が始まると、町でも数軒の家と大通り商店街の一部の店が、いち早くテレビを設置した。
扉がついた仰々しいもので、放送時間も限られていた。
力道山のプロレスが人気を博し、徳一は千津をテレビが置いてある横山食堂へ、中継を見に連れ出した。
店内は人いきれがするほどの混雑だった。力道山が、外人レスラーに痛めつけられ負けそうになる寸前、空手チョップで反撃に転じダウンを奪うと、皆快哉を叫び、手をたたいた。
つねは、毎晩のように出かける徳一に、
「千津の面倒を見るといったら仕事をさぼれるからな」
と嫌味を言った。