海鳴りの聞こえる町
町から海までは一里ほどある。地曳網の漁獲が多かった日は、浜部落の女たちがアジやいわし、アサリやながらみ、時にはホウボウなどの魚介類を荷車に載せ、町まで行商にやって来た。女たちは目星をつけた、買ってくれそうな家に出向いて声をかけた。
「見てくれや。いろいろあっど(あるよ)」
家から出てきた女も、木箱の中の品を見定め、晩のおかずを工面する。
「あじょうだや(どんなようすだ)。これはちっちゃけい(小さい)ねえ」
「ちっけい(小さい)のが、のうほど(たくさん)獲れるだよ」
「なじょうしべいか(どうしようか)。それじゃわーか(少し)もらおうか、おっち(汁物)にいれてもよかっぺな」
食卓に、手間のかかる料理が並ぶことはなかった。煮たり焼いたりするだけの、いわしなどは格好の食材で、ご馳走だった。桶に一杯ほど買ったながらみは塩茹でにし、竹串を使い、身をほじって食べた。時にはジャリッと、砂が舌にあたって食感をそいだ。
そして夜になり、人々が活動を終えて寝床に入る頃、ドドーン、ドドーンと海鳴りが町全体にかぶさるように響き渡り、音波は更に遠くへと拡散していった。強弱をつけながら、夜の静寂を大地の鼓動が規則的に震わしていく。冬季や、大風の翌日などは一段と大きく響き、千津は幼心に恐怖を覚えて、母親の胸にしがみついて眠りについたものだった。
千津には小さい頃に一度だけ、家族と浜に海水浴に出かけた記憶がある。
家の女たちと千津は牛車に乗り、父と兄たちが交代で牛を引き、海へと続く日照りの道を歩いた。母と姉たちは、日傘や手拭いで陽射しを遮って、おしゃべりに興じていた。遠出することなどめったにないことなので、皆で出かけることで浮かれていた。握り飯や漬物などをお重に詰め、大きなやかんには麦茶を用意してきた。
海に近づくと潮騒が一段と大きく響き、潮の香りも強くなった。牛車は松林を抜け、砂丘をかけ上がる。とたんに海が一面に広がって見えた。夏雲が山塊のように湧き出ている。どこからか、干し魚の腐ったような臭いも漂っていた。
長い海岸線の彼方はかすんでいた。男たちは褌(ふんどし)、女たちはアッパッパを着たまま浜に降り立った。水際までの距離が長く、砂地は夏の太陽に熱せられ、はだしで歩くには熱すぎた。皆で「アチー、アチー」と叫びながら、生えているハマボウフウやヒルガオなどの植物を踏み、ピョンピョン飛び跳ね渚を目指した。
幼かった千津は、パンツ一丁で兄に負ぶさって波を浴び、初めての海水浴を体験したのだった。遠い思い出で、今では誰にも確かめようがないが、千津の記憶にはそれはまるで映画の一シーンのように、潮の香りまでもが家族の姿とともに蘇ってくるのだった。