「すまなかった、それは随分迷惑をかけたな」
「迷惑でなんかあるものか! ただ、お前がもしも人目の届かない所で昨日みたいなことになってしまったら、と思うとぞっとするんだ。お前ときたらおとなしく寝てろと言ったって、具合がよほど悪くならない限りまったく健常な奴と変わらないように動き回るだろ。首輪でもつけて俺が一日中連れ歩くわけにもいかないしな。無理するなって言っても、そもそもお前は無理しないと生きていられないような奴だし」
リリスの心配ぶりはまるで乳母日傘(おんばひがさ)で彼を育ててきた老婆のようだ。
「俺もそろそろかな」
寝台の青年がぽそりと呟く。リリスはその言葉にきっとなって咎(とが)めるような視線で見返した。
「そんなこと言うないさ ! お前らしくないぞ」
厳しく諫められて青年が微かに表情を緩め、リリスもそれを見て微笑み返したが、二人の間にはそれだけでは慰められない痛みが残った。
「なあ、リリス」
リリスが棚の薬を補充するために一つひとつ残量を調べては石板に書き込んでいると、寝台に再び横になっている青年が天井に向かって呼びかけた。
「何だ?」
作業の手を止めずに言葉だけ返したが、それっきり返事がない。
何さ? という顔を向けると、くるっと横を向いた顔が、何でもないという振りをする。
「何だよ、言いかけておいて」
リリスは持っていた石板を机の上に置くと、仕方ないなあ、というふうに寝台の側まで戻ってきた。
「何だよ、お仕事をやめてちゃんと聞いてやるから言えよ」
はにかんだ子どもを相手にするようにからかい気味に言う。青年はそれでも言おうかどうか迷っているようで、また天井を見つめていた。世話の焼ける奴だと、リリスは青年の肩を軽く叩いて作業に戻ろうとした。
「俺、村を出ようと思う」
【前回の記事を読む】外の世界から隔絶されたこの村から出ていくところを見つかり捕らえられた者がいた。遂に戻らず、火炙りになったのかもしれないと…
次回更新は10月16日(水)、18時の予定です。