第四章 自信を得た高校時代

キャンプファイヤーに未来を描く

感動的なカトレアの花の体験に始まった高校生活は、中学時代に比べて、楽しい思い出がたくさんありました。

中学校の思い出と言えば、修学旅行と運動会で足の遅い私が、珍しく二等賞になったことくらいです。それに比べて高校時代は色々な体験が待っていたのです。 

中でも、夏休みにキャンプに行ったことは私にとって、冒険に近い夢のような体験でした。それは今まで感じたことの無い不思議とも言える風と空気の中で、心躍る出来事ばかりでした。

一年生の時は、奥日光の前白根山の登山と菅沼でのキャンプでした。

当時昭和三十五年頃、日光の湯元から菅沼までの金精峠はまだ崖沿いの山道でした。山の中腹の山肌を削り、人が歩ける位の道が長く続いていたのです。

下を見ると急斜面の崖です。足を滑らせないように皆真剣そのものでした。途中霧が巻いてきた時は、事前に教わった通り全員しゃがみ、霧が晴れるのを待ちました。今まで体験した事の無い不思議な少し怖い体験でした。

その峠を越えると、いよいよ前白根の登山です。頂上に着くと、眼下に美しい五色沼が見えます。色は三色位でしたが、澄んだ緑色が幻想的でした。底の地質の違いや気象条件などで、色が異なって見えるのだそうです。

菅沼のバンガローでのキャンプは、驚きと感動の連続でした。最初の驚きは、夏だと言うのに、水が氷のように冷たいことです。手を洗う間さえ我慢出来ない程冷たく、炊事の支度に皆で悲鳴を上げてしまいました。次の日の朝の洗顔と歯磨きも、またまた大騒ぎでした。

二つ目の驚きは、冬になるとその辺一帯が雪で埋まり、バンガローもすっぽり雪の下に隠れてしまう、と言う話です。冬のキャンプ場は閉鎖され冬眠と言うわけです。

現在は金精峠の道は立派に舗装され、車で群馬県片品村まで通じていますが、冬季は積雪のため現在も通行止めになるのです。その積雪の状況が容易に想像できます。

三つ目の驚きはその夜、感動と共にやって来ました。それは「キャンプファイヤー」です。私は初めての体験でした。

家の柱より太い長さ一メートル以上ある丸太が、井桁型の櫓に組まれていました。私達は大きな輪になり、その太い木の櫓を囲みいよいよ始まりです。

火はまたたく間にどんどん火力を増し、真っ赤な炎が空まで届く勢いでした。全員がその炎を無心に見上げていると、輪になっている私達全員の心が一つになっていきました。

歌を歌ったりフォークダンスをしたり、次から次へと楽しいメニューを、キャンプ場の係の方が準備してくれました。山の歌も教わりました。『アルプス一万尺』や『すいかの名産地』などはその時覚えた歌です。

私はこのキャンプファイヤーの楽しさが忘れられず、次の年の夏のキャンプも楽しみにしていました。