【前回の記事を読む】国宝の十一面観音菩薩像に再会。この一円は織田信長による浅井長政攻めで戦火に見舞われ、堂宇は焼き払われたものの村人が…
第一章 再会
ここ数年、茅根は年が明けてから賀状をもらった人にだけ書くようになっていた。その方が先方が認(したた)めた文面に応じて書けるし形式的にならなくてよいと思っていた。しかし白川の賀状が来ないのはやはり不安になっていた。
茅根は一月末、きちんと返事をしなかった後ろめたさもあってケータイから白川律子にメールを送っていた。
すると、この旅行中に白川から返信が来たのだった。茅根は内心動揺した。茅根が近江にいることを告げると、白川は「じゃあ、せっかくだから京都にいらっしゃいませんか。私、冬の三千院に行ってみたいんです。ご一緒していただけますか」と誘った。
茅根が名古屋から東京に異動になってからも、白川との手紙やメールでのやりとりは続いていた。意外と筆まめな白川は上高地の河童橋で娘と並んで撮った写真を送ってきたり、ある時は知人の紹介で交際相手ができたと知らせてきたこともあった。
その時白川は結婚は二度としたくないとも書いていた。茅根は彼女に離婚のトラウマがまだあるのだろうかと思った。
茅根はその時白川に、二度と同じ思いはしたくない気持ちはわかるが、好きな人ができたら考えなければいけないよと諭した手紙を書いてやっていた。その後どうなったのか。そんなことがあってから白川からの便りは途絶えがちになったが、それでも、茅根が出張の帰りに名古屋で途中下車して昼食をともにしたことが何度かあった。
翌日には、白川と再会することになっていた。一人旅は今日までだ。茅根は京都駅からタクシーに乗り、観光客のまばらな洛西龍安寺(らくせいりようあんじ)の石庭に向かった。
美しい螺旋(らせん)を描く白砂(はくしや)、思い思いに顔を出す巌(いわお)、素朴な油土塀(あぶらどべい)が簡素な空間を包み込んでいた。
茅根は敷居にじっと座り込んでそれらを見つめていた。いつ来てもシンプルな景観に惹き込まれる。枯山水の庭隅には雪解けしていない白い塊が見えた。時折、肌を刺す風が通り抜け、足裏は冷たくなり底冷えを感じた。
茅根はそれでも動かなかった。凍てつく寒気が身体に浸透してくる。宇宙、無限、魂……。様々な雑念が浮かんでは消える。人は生まれ、そして死ぬ。時間だけが変わらずに流れ続ける。自分は何者だったのか。世の喧騒を逃れて身を置き、我を忘れて石庭に眺め入った。欲望も妄想も高慢も忘却し、自分が孤心に還(かえ)っていくのを感じた。
石庭、それは空間の美だ。一種の真空状態に近い。無の静寂の中にどのくらい佇んでいたろうか。ふと我に返り、茅根は龍安寺を後にした。