【前回の記事を読む】織田の残党狩りを逃れた武田敗残兵の中には、武田信玄の娘・松姫もいた。彼女は逃亡時、4人の子供たちを託されて…
第二章 分岐点
名鉄線の豊橋駅で飯田線に乗り換え、新城経由で長篠城駅に着いた。二時間弱かかった。
長篠城駅から現地までは徒歩であった。長篠城は背後に豊川の上流、寒狭川(かんさがわ)と大野川とが合流する地点にあり、断崖になっていた。現在も地形的には変わらないが水深は浅かった。
長篠城内は緑に囲まれ、城郭のイメージはすでになかった。内堀や土塁の跡が残り、本丸跡を示す石碑が立っていた。内陸側に馬出し(城の出入口)があった。
白川が向こうに見える峠が鳶ヶ巣山(とびがすやま)と説明した。設楽原まで距離があるようであった。バスを利用して二十分程度で着いた。
昔日の合戦時に武田軍は城を見下ろす医王寺(いおうじ)山に本陣を置き城を包囲した。長篠城主が籠城して織田・徳川に援軍を仰いだところ、両軍は救援に駆け付け設楽原(したらがはら)に軍陣を張った。
極楽寺山には信長、新御堂山には信忠が陣を構え、家康は高松山(現在は弾正山)に陣を構えた。
天正三年(一五七五)五月二十一日、武田軍と織田・徳川連合軍の戦いは朝六時から始まり白兵戦は八時間にわたった。
設楽原を横切る連吾川(れんごがわ)の岸には二重・三重の馬防柵(ばぼうさく)が設けられていた。武田軍は連吾川の東側台地に陣地を築き織田・徳川連合軍と攻防を展開した。
連合軍の鉄砲衆部隊に対し、武田軍の鉄砲隊は肉薄し善戦した。しかし精強を誇った武田騎馬隊は馬防柵に前進を阻まれた。
メンバーは白川とアシスタントの井上さんの後を歩いた。馬防柵が見えてきた。
井上さんが先生の説明がありますと告げると歩くのを止め、白川の周りを取り巻くようにした。メンバーは参集した時に配られた資料に目を通しながら白川の説明に耳を傾けた。
無駄口を叩いている者はなかった。白川は表情をあまり変えず、背筋をぴんと伸ばしている。茅根は彼女の説明に真剣に耳を傾けていた。
白川の説明は聞き手に物知り顔に吹き込むような喋り方では微塵もなかった。教室で話すように冷静で、歴史上の登場人物を称えたり、同情したり、悲しんだりすることは一切なく、きりっと結んだ唇を開きメンバーを見回しながら説明していた。
茅根は耳をすまして一心に聞きながら、しだいに磁石のように白川に惹きつけられるのを感じた。