第2章 
「地震予知」の絶望 ―前編― 予知できなかった! 兵庫県南部地震!

1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生時、「震源域の真上には京都大学の六甲高雄観測室があり、六甲山を掘り抜いた自動車用連絡トンネルの中に、伸縮計、歪計、水管傾斜計などの地殻変動観測装置が動いていた」。

しかし、地震直前に前兆的変化は認められなかったという。(京都大学防災研究所年報 平7、4)

「前兆現象の検出・観測に基づく地震予知の実用化」を目指した数次の地震予知研究計画が推進された。しかし、地震予知を目指した30年に及ぶ、観測体制の充実・強化策が何の役にも立たなかったと批判されることとなった。

1.1995年1月17日午前5時46分「兵庫県南部地震」発生!

地震の概要

•規模:M7.3 •震源:淡路島付近 •「阪神・淡路大震災」と命名

•活断層の活動によるいわゆる直下型地震、神戸、淡路島の洲本で震度6だったが、現地調査により淡路島の一部から神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市にかけて震度7の地域があることが判明。

•多くの木造家屋、鉄筋コンクリート造、鉄骨造などの建物のほか、高速道路、新幹線を含む鉄道線路なども崩壊した。

•被害は死者6,434人(震災関連死含む)、行方不明3人、住宅全壊104,906戸、半壊144,274戸、全半焼7,132戸など。

早朝であったため、死者の多くは家屋の倒壊と火災による。(理科年表2024)

•地震後の発掘調査により、淡路島北西部の活断層である野島断層は今から2,000年程前の弥生時代に地震を起こしていたことが判明(旧地質調査所、現産業技術総合研究所のトレンチ調査結果)。内陸型直下地震の発生予測の難しさが浮き彫りになった。

都市型大地震の惨状(1995年1月17日神戸市長田区)(写真提供:神戸市)

社会の厳しい批判

当時の新聞記事等を検索してみると、「地震学者は、日本にはいたるところに活断層があるから、いつ大地震が起こってもおかしくなかった等と解説する。

だったらなぜ平常時からもっと警告をしてくれなかったのか? 地震学者が将来の予知・予測に全く関与せず、地震発生後に解説をするだけなら無用の長物ではないか!」等、まさに怨嗟の声がみられた。

早かった政治・行政の対応

1995年6月9日には「地震防災対策特別措置法」が成立。

地震調査研究の成果を、地震災害の軽減に生かそうという理念のもと、7月18日総理府に「地震調査研究推進本部」が発足した。

政府は94年度の第二次補正予算として1兆223億円を計上、緊急支援を行った。さらに、復興予算として94年度から99年度までに、総額5兆200億円が投じられた。(内閣府、阪神・淡路大震災教訓情報資料集)