【日中、城外の河水を塞がんとして、貴賎老若男女力を合わせて石を運ぶ、景頼一人床几によりてこれを指揮す、あたかも君公の如く、見るものこれを憎めり……】

記録にはそのように記されている。儂が七つか八つのわらす(童子)のころの話だった。

「その労役は家柄や身分を問わず、女子供から老人まで狩りだされたそうでござりす。身分の高い老いた家臣にも容赦なく石かごを背負わせ、鉄梃(かなてこ)を持たせて川床を掘らせ、しかもこれらのひとが休息をとる床几まで取り上げて、おのれ一人が床几に座って、長い鞭を振るって叱咤したと聞き及んでおります」書物で目にしたとおりの話であった。

「今の岩出山城は、ほとんど屋代勘解由兵衛どのが造り上げたようなものだのう。それにしても、話のとおりだとすれば、評判は悪くなろう。恨んだ者もいたであろうな」

「そのとおりでござりす。恨みを買いましたが岩出山城を堅固な城とし、付近の土木、治山、治水、水利事業のあらかたを、屋代勘解由兵衛どのと高麗御陣の残留部隊が造り上げたようなものでござりまする」

あんちゃんの話はいつもながら公平で感情に流されることがない。

儂が景頼の立場ならどうしたであろう。たぶん自ら率先して川床を這い、石鎚を振るい、もっこを担ぐだろう。子供らとは仲良くなるような気がする。たぶん儂には景頼どのほどの成果は上げられまい。だがおのれ一人が床几(しょうぎ)にかけて、女子供から老人まで地を這って働く身に、長い鞭を振るうなど、とてもできるとは思えぬのだ。

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