関白殿下は叩頭している伊達さまをねめ回し、苦虫を嚙み潰したお顔で、くだんの書状を取り上げられた。

「ない」、太閤殿下は不承不承憎々し気につぶやかれた。せきれいの目には穴がうがたれていなかった。伊達さまからの数通の書状の一通を開いて、花押を明かりにすかしてごらんになった。伊達さまの申し開きのとおり、花押のせきれいの目に、小さな真円の穴がうがたれているのを確かめられた。太閤殿下は面倒くさそうに、それ以上他の書状まで確かめようとはなさらなかった。

上さまの主張は認められた。だがその騒ぎの代償は大きかった。伊達家伝来の領地、伊達郡、出羽置賜(でわおきたま)を召し上げられて、その代わりに与えられたのが、一揆蜂起の地である葛西大崎であったのだ。

一揆の武装集団を討伐し、片っ端から惨殺して、天正十九(一五九一)年八月、最後の残党を甘言をもっておびき寄せ、その全員を掃討したのが他ならぬ屋代勘解由兵衛景頼だったのだ。桃生郡須江山(ものうぐんすえやま)の山間山腹には、おびただしい死体が転がっていたという。

「何度もお耳にされた話でございましょう」

「いや、何度聞いても、話し手が違うと新しい話に聞こえるものだ」

「城代のお役目は立派な成果を上げられました。領内には未開地が多かったようでござります。検地、石高の正確な把握が急がれました」

「なるほど……」儂はあんちゃんから暗に白石領内の行政の遅れを指摘された気がした。

今に残る岩出山大堰、城堀などは軍事の目的で開削されたのだ。その末流を領内の原野に引いて、新しく田地田畑を誕生させた。