第1章 泰子さん認知症に

2 やはり認知症だった

今までできていたことの、二割以下しかできていない。掃除機が壊れているからずっとかけていないと言っていたけれど、実はコンセントに挿すことを忘れていただけなのよ。

それでも、私が出産したときは道もわからなくなって、電車に乗るのだって怖かっただろうに、荻窪の病院まで一人で孫を見にきてくれて、この先一生分のお母さんの愛情をもらった気がしたわ」と。

二〇一六年頃の様子

漢字がもう一度書けるようになりたいということで、なぞって書いていけるように、私がプリントを作りました。

そのうち、初めてケアマネージャーが手配した訪問看護の方が見え、泰子さんに漢字の指導をしていただきました。しかし、なかなか気が合う方に出会えず何人か変わって、やっと泰子さんが気に入った方に出会えました。

それでとても喜んでいたのですが、その方が怪我をされ、結局仕事を辞めてしまわれました。その結果、泰子さんは訪問看護をやめ、その後は私が見てあげるようになりました。