ただ中国医学に重要な「経絡」の存在は、現代医学の手法では解明出来ていないが、施術を試行錯誤した記録の蓄積の成果だろう。

本草学は動、植、鉱物の特性、特に薬効、毒性についての膨大な記述から成り立つ。経験から得られた多量の情報は、一人の天才、一個人の記憶力に頼るには限界を超えているように思える。

発明された文字を用い、記録を残し、総合し、体系化することにより、一学問分野として成立させたのだろう。しかし誤った記録が多ければ学問体系の信頼性を損なう。

特に鍼灸術のような人体に関する試行錯誤には、細心の注意を払って記録することが必要であったことは言うまでもない。

以上のように古代中華の人々は正確な記録を心掛ける精神的、かつ実用的素養があったことがわかる。ただ同時代的な意味での著作物は逸失し、複写が繰り返されたものしか残っていない点、誤写、脱字の可能性は念頭におくべきだろう。

また中国と倭国の関係を考慮したい。歴史書の多くは勝者の記録である。中国において前王朝の悪政や不徳により天命が革(あらた)まる(易姓えきせい革命)思想がある。

したがって前王朝あるいは新王朝に敵対した勢力の悪行が歴史書に盛り込まれることになる。

辺境にある倭国はそのような敵対、利害、競合関係がなく、歴史書における客観的な記載が期待できる。風土、風俗、産品や旅程などの記事が多く、作為の入る余地は少ないと考えていいのではないだろうか。

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