二〇一四年頃の様子
娘は、婚姻届を出した一年後の二〇一四年十一月二十二日に結婚式を執り行いました。泰子さんは花嫁のベールを上げることができなくて、娘がかがんでのれんをくぐるようにしていました。
「高校時代の私の友人のことは何となく覚えていたけれど、それ以外はどちら側の来賓かわからず、夫の方の来賓にまでお酌をしに行ったらしいのよ。お義母様たちはとても喜んでくれたんだって」と、娘が笑いながら話してくれました。
ともあれ、式は無事あたたかな祝福に包まれて終えることができました。
ある日、自転車でスーパーに買い物に行ったのですが、買った物を忘れて帰ってきて、再度取りに行ったこともありました。認知症予防の一環としてパソコンで計算練習をしたときには「一人でできてとても楽しかった」と言って喜んでいました。
この日は、庭の手入れや部屋の掃除、パソコンで計算練習、ピアノの練習、いずれもスムーズにやっていました。ひき算の筆算の練習問題にも取り組みました。二ケタ引く一ケタは問題ありませんでした。
しかし三ケタになると、うまく計算ができなかったのです。またベートーヴェンのチェロソナタ第三番一楽章を、三分の二くらいまで合わせられて喜んでいた日や、午前中にお中元の送り先を書いて、漢字を書くのが大変だった日などがありました。
こんなふうに、多少の失敗やできないことはありましたが、まあまあ頑張って楽しくやっていました。
二〇一五年頃の様子
娘が出産のために里帰りしていたときの様子を話してくれました。
「日常のことができなくなっていたのに愕然としたのが、里帰りしたときだったな。食べ物が、本来あるべきではないところにあるの。冷凍庫から豆腐が出てきたり、キッチンの一番下の引き出しに生肉が入っていて虫が湧いていたり。
ほかにも、電子レンジの中に腐った食べ物が入っていたり、一品の料理を作るのに、一時間以上もかかって、その間あっちこっちに歩いていても、なにをしたらいいのかまとまらない様子なの。やっとでき上がった炒め物は火が通っていなかったわ。
スーパーに行ってもお金の計算ができなくて店員さんにお札を取ってもらうから、財布の中は小銭がいっぱいになっていたのよ。買い忘れ、置き忘れが多くなっていたわ。
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次回更新は9月26日(木)、18時の予定です。