最初は若者全般へ向けての愚痴めいた話だったが、次第に光一の本の話へと切り替わり、やがて4個目の練り切りを食べ終えたころ、ようやく火が消えたように静かになった。
まったりとした沈黙が空間にひろがる。和菓子のやわらかな甘みがそんな時間を連れてきたようだった。
それまでソファに深く沈みこんで何かを考えていた光一が、ポツリとつぶやいた。
「見えていなかったのかもしれないな」
そして、また沈黙。一瞬の間があって、啓二が思いがけない声のトーンで聞き返してきた。
「え、見えていないってなにがですか」
「和菓子屋だよ。広尾の商店街にあるという鶴亀堂だ」
「え、でも、見えてなかったって……」
「ふだん通っているのに気がつかない。そこにあるのに見えていない。つまりそれはオレの中では存在していなかった……」
「存在していないって、どういう意味ですか……?」
「誰もがみんな、同じものを見ていると思うか?」
「そういわれると……」
「ミサエには見えていて、オレには見えていなかった。同じ景色でも人によって違って見えるってことだ」
「なるほど」
光一はようやく深く腰掛けていたソファから起き上がり、さらに続けた。