差し出された人形は十年も前の物には見えない。よほど大事にしていたのだろう。人形を手渡した時の早苗の笑顔が頭をよぎった。
清三郎は、人形を受け取りながら思った。もう一度あの花の咲いたような笑顔を見たい。寂しそうに微笑む早苗の顔が別れになるなど、清三郎には耐えがたかった。早苗を笑顔にするのはいつだって清三郎だった。
近所の悪ガキに髪と目の色を揶揄われ泣いていた時や人形を買って貰えず不貞腐れていた時、清三郎が慰め、一緒に遊ぶと早苗は自然に笑顔になった。だから、最後も早苗を何とかして笑顔にしたかった。
「兄上、早苗殿を頼みます。すぐ、すぐ戻りますので早苗殿、しばしお待ちを」
少し声を張り上げると、案の定、とっくの昔に饅頭屋から出てきて、聞き耳を立てていた源次郎が出てきた。バツの悪そうな顔をした源次郎に早苗を託すと清三郎は走り出した。
浅草には様々な店が立ち並んでいる。下町だけあって手ごろな値の品が多い。何か、早苗に贈ろう。走りながら清三郎は考えた。早苗が嫁いでも気軽に持ち歩けるものがいい。出来れば長く大事に持ち歩いても人から咎められないような物が欲しい。
簪や櫛などは論外だ。匂い袋や紅は消耗品であるし、幼いころのように風車やデンデン太鼓を喜ぶ訳もない。
(何か、何かないか)
必死の形相で走り回る清三郎に周囲が驚いて道を開ける。少々目立っても構うものかと清三郎は走り続けた。結局、これといった物が見つからず、門前通りに並んだ数々の店の間を走り抜け、行き止まりの浅草観音門前まで来てしまった。
途方に暮れていると寺からおみくじやお守りを眺める参拝客が出てきた。その姿を見て、清三郎は寺の中に駆け込んだ。
【前回の記事を読む】母が亡くなった時、兄は泣きわめく私たちの手を強く握ってくれた。兄の愛情は今も変わらないのに、私たちは勝手に兄を妬んで…
次回更新は9月29日(日)、11時の予定です。