「身代守(しんだいもり)」

「まるで、茶番ではないか」

つい、ポロリと本音が出た。井口清三郎は、慌てて口をつぐみ、周囲に素早く目を走らせた。その小さな声は幸いにも、すぐ隣にいた次兄、源次郎にしか聞こえなかったようで、口を慎めと咎める様な眼差しでチラリとこちらを見られただけだった。

長兄、新之丞は弟達の事など気にも留めず、父の隣で主だった親戚や御歴々に挨拶を行なっている最中だ。周りも次男、三男には目もくれない。清三郎はそっと胸を撫で下ろした。

宝暦十一年(一七六一年)五月、十代将軍、徳川家治の御代。神田神保町に屋敷を構える旗本、八十石二人扶持、井口家では先代当主の三回忌の法要が行われていた。

新緑の涼しい風の吹く青空は、清三郎の心とは違い何処までも青く澄んでいる。普段は袖を通すこともない上等な生地で作られた羽織袴がずっしりと重く感じるのは、早くこの茶番が終らないか、そればかり考えているからであろう。

しかし、客足は途絶えることを知らない、次から次へ客が来る。しかも清三郎の知らない顔ばかり、親類と呼べないような遠縁の者まで来るのだから、いくら祖父の法事とはいえ清三郎はうんざりしてしまった。源次郎も流石に顔の笑みが崩れ、口元が引きつっている。

清三郎の祖父は、良い人であったが、凡庸な人であった。曽祖父はそれなりの御役目を賜っていたが、才の無い祖父は終身無役であった。無役でも家の禄高が減らされる訳ではないので贅沢をしなければ食べてゆける。

つつましく、御役目関係の知り合いもなく、息子に出世の望みを託し、四十を過ぎた頃、隠居した。

それなのに井口家と少しでも繋がりを作りたいと祖父の知り合いらしくもない商人だけでなく、家格が上の方々までもが、人だかりを作って訪ねて来るのには理由がある。

太平の世が続いて百年以上、天下の旗本と言え懐は寂しい、それは井口家も例外ではない。流石に家財を売り払うほどではないが、日々、質素倹約に務めており、仏壇に菓子を供えることなど他所からの貰い物以外は、ほとんどない有様であった。

父はかろうじて、勘定方の御役目を頂いているが、役目があるからこその接待や折々の挨拶にも金がかかり、いっそ祖父のように無役の方が面倒もなく、暮らし向きが楽であったと井口家の用人、柳田左内が泣き言を言うほどであった。

それでも先代当主の三回忌となれば、金を借りて盛大にやらなければならない。武士の面目を保つには金が必要なのである。その金の出どころこそが井口家の価値をただの旗本八十石二人扶持以上にしているのだ。