そんな団長を支える西康弘副分団長の率先垂範により旅館の北側通路から茜屋の蔵と宴会場、その後、中庭へと進入して南側の客室やロビーへの放水を重ねた。
庭の中央に東西に横たわる池の中には、五十匹を超える錦鯉が泳いでいたが、水面を覆うゴミやそれが燃える熱で助けることも許されなかった。
続いて、グランディア芳泉の山口透社長が団長を務める「あわら消防団」の十の分団全てが次々と到着して、消防車は計十五台となった。連休中であるにもかかわらず団員たちの集合の速さは驚異的であり、ふるさとを守る強い意気に満ち溢れていた。
その中に、もう一人のあわら消防団第一分団副分団長である小濱弘範がいた。彼は、火災発生時家族旅行で北陸道を南下しており、目的地の長浜へ到着する寸前に一斉メールで茜屋の火災を知った。
せっかくの家族旅行だったが、この状況を見過ごすことはできなかった。すぐに五人の家族に事情を告げると、そこから全速力で引き返し、わずか一時間であわらに帰還していたのだった。
家族は誰一人、文句を言わなかった。事の重大さを十分に理解していたからである。それだけ茜屋が、あわら温泉にとって大切な存在だということだった。
やがて「嶺北消防組合」全署から二十一台の消防車と一台の高所放水車も到着すると、それまで初期消火に当たっていた各消防団はこれに最前線を譲り、茜屋を三百六十度から放水する完全包囲網を形成する陣形に加わることにした。
この時の消防車全三十三台の出動は、組合設立以来、空前絶後の規模での消火体制であった。
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次回更新は9月16日(月)、18時の予定です。