北満のシリウス
八月七日 午後三時三十分頃 ハルビン キタイスカヤ モデルンホテル
「昨日の早朝の話だ。俺が手にした情報では、瞬時に十万人以上の市民が死んだらしい。おそらく数日以内に、今度は長崎が狙われるという話だ。大勢の人が、一個の爆弾で、一瞬に死んだ。その事実は、もちろん重要だが、この満州にいる俺達にとって、このことは、さらに深刻な意味を持つ。雪舟、お前ならわかるな?」
雪舟は黙ってニコライの目を見つめていた。エドゥゲーフとアイザックは、雪舟のほうを見つめながら、彼が口を開くのを待っていた。そして、雪舟が、沈黙を破った。
「戦争が終わるな」
「そう、戦争が終わる。さすがの日本も、一週間以内に降伏するのは間違いない」
エドゥゲーフが、ほっとした表情になった。
「何だ。戦争が終わるなんていいことじゃないか」
だが、雪舟は、ニコライの目を黙って見ていた。
ニコライは、斜め後ろに立つエドゥゲーフを振り返った。
「エドゥゲーフ、前にお前達に話したヤルタの密約の話を覚えているか?」
「ああ、チャーチルとルーズベルトが二月くらいにスターリンと会って、ソ連の対日参戦を秘密裏に頼んだって言う話だろ? そのかわり、千島や樺太をソ連にくれてやるっていう……」
「その通りだ。だが、ソ連は、知っての通り、まだ対日参戦していない。そして、このまま戦争が終わるとする」
雪舟は、グラスの水を飲んだ。落ち着き払った彼の低い声が響いた。
「ソ連の分け前は、無くなるな」
「そう、だが、あの強欲スターリンが、じっとしていると思うか? 前にも、お前達に言ったはずだ。五月にドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦闘が終わった後、ソ連国内では、西から極東への大々的な軍事力移動が始まった。だが、その事実を満州では誰も知らない」