秋、京都市伏見区の酒造会社〝山紹(しょうざん)〟へは半年越しで、仙一にはこの秋が2度目の上京だった。先輩達は、みんな兵庫県の但馬地方からの蔵人で、その中で、福井県の越前から来ているのは自分がただ一人だった。

仙一の育った越前海岸の糠は、海に面して鄙びた漁村だったが、仙一の家は、そこから山間に少し入ったところだった。

木本家は戦争で父を亡くした後、母が主になって農業を営んで、自分達兄弟を育ててくれた貧しい家だった。

長男の仙一は、中学を出て数年の間は農家を手伝っていたがその後、京都市伏見区の、酒造会社へ奉公に出たのである。

奉公といっても、酒造会社への出稼ぎの杜氏率いる集団の一員で、飯炊きと下働きから始まった。

たった一人の、頂点の杜氏を長い年月をかけて目指すが、杜氏に成れるのはその中でも一人か。

優秀な人材は、他の酒造会社へのトレードも昨今では有るのだが。

仙一は一家の収入の為、人生の方向性も決められぬ未熟な年頃にその道を選んで、収入の大半を実家に送り、弟達と母の為に頑張った。

その当時の酒蔵での蔵人は、酒造りの時期だけの仕事。

全体を取り仕切る杜氏は、親方とも呼ばれ、大概は年配者だった。

杜氏が蔵人をまとめて蔵元へ出向き、酒造りが始まるが、それぞれの分担と役割が有った。

頂点が杜氏で、酒造りの全てを取り仕切り、桶算(おけさん)とも呼ばれ、蔵の管理など全てを請け合う。

蔵元である経営者も、杜氏には一目を置く絶対的な存在で最高責任者である。

そして杜氏は、蔵人からも尊敬し慕われる人柄で無ければ成らない。次に来る大事な地位が三役で、部門別に行程を分担し、蔵人を直接指導するのが頭(かしら)、そして麹屋、酛屋(もとや)を三役と呼び、蔵元によっては三番と呼ぶ事もある。

それぞれの持ち場があり、頭が取り仕切り杜氏と相談の上、その年の分担を決める。

大概は若い者がその下で、三役の指示に従って上人、中人、下人と続き、それらの仕事は主に酒飯を洗ったり、道具の準備など全般の下働きを数人で熟(こな)し、仙一は未だその作業もさせてもらえず、飯炊きと雑用が主な仕事で、今回は2年目の秋であった。

仙一も、下っ端ではあってもその歳にしての収入は他の何処よりも良かった。

しかし、酒造時期が終わる3月に甑倒(こしきたお)しが終わって、作業場での始末整理をして一段落、そして帰郷と成る。

甑倒しとは……全ての仕込みの終了を祝う行事で、今年度の酒造りが無事終了した釜場の神に感謝をすると共に蔵人の労をねぎらった。

甑は、酒米を蒸す為の道具、 そして甑倒しは酒米を蒸す最後の日に行われる。「釜屋」と呼ばれる蔵人が釜場の神に扮し、倒した甑の上に座した形で祭壇をしつらえて行う。その年も、杜氏の弥平が代表で、蔵元やその他の蔵人達総出で玉串を捧げる。

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