それからは母娘二人の生活がおよそ十年続いた。その間にトワコは仕事を退職し、母親と時間を共にすることが増えていった。時には腹の立つこともあったけれど、女二人の生活はなかなか快適だった。
母親は年齢のわりにはシャキッと背筋が伸びており、実年齢よりも若く見られることが多かった。体力は少し衰えていたもののとても元気だった。
朝ご飯は早起きの母親が作り、昼と夜はトワコが準備をするスタイルが自然と定着し、その日もいつものように朝食を食べるために一階へ降りたところ、母親が台所で倒れていた。
トワコが混乱する頭で救急車を呼び、母親は病院へと運ばれたものの、そのまま帰らぬ人となった。くも膜下出血であった。
前日までは普通におしゃべりをしていた。いつものようにおやすみと声をかけ合い、当たり前に明日が来ると思っていた。それが起きたらもう二度と話すことができないなんて、なかなか信じられるものではない。現実として受け入れるのには、それなりの時間が必要だった。
少しずつ、だんだんと母親のいない日常が溶け込むようになってきて、遺品整理に手をつけたのが今である。
振り返ると、トワコの人生はドラマチックとはいえない、むしろ地味そのものだ。誰からもうらやましがられるものでもないだろう。
しかし、積み重ねてきた日々が人生を作り、その一つ一つがかけがえのない財産になっている。一見失敗したことも、後悔したことも全てを含めてそうなのだ。最後に母娘二人で生活できたことも、結婚をしていたら叶わぬことだったかもしれないのだから、独身でいたことも悪くはない。
人生解説集にはまだまだ続きがあった。しかし、先のことは読まずにパタンと本を閉じ、不要品をまとめた段ボールへ入れた。そして、何事もなかったかのように遺品整理の続きに取りかかる。
これからの人生がどんなものになっていくのか、どんな最期が待っているのか、気にならないと言ったら嘘になる。しかし、知らない方がよいのだ。
もしも一生独身だという運命を知っていたなら婚活をしただろうか。いや、しなかったであろう。人間、無駄だと知ってしまえばやらないものである。
この先何が起こるかわからないから人は何かに希望を持ち、前を向いて歩いていけるのだ。
不確かな未来、それこそが人生の醍醐味ともいえよう。
【前回の記事を読む】選ばなかった方の人生のシナリオの先には何があったのか......ドキドキしながらページをめくる。
次回更新は9月7日(土)、18時の予定です。