当たる

翌朝も彼は自動販売機でエナジードリンクを購入する。すると、再びピコーンピコーンと騒がしい音が響いた。また当たりだ。

二日連続でのことに喜びよりも驚きの方が勝ったが、とりあえず昨日と同じ缶コーヒーにし、鞄のポケットへと押し込んだ。

駅のホームで味わうエナジードリンクは昨日よりも味気なく感じ、同時に疑問という名の不確かな不安が渦巻き始める。そして、不安は確信へと変わっていく。翌日も、そのまた翌日も同じであった。なぜか当たるのだ。

きっと故障しているのだろうと自分に言い聞かせている間に、気づけば五日が過ぎていた。

翌日の土曜日は休日であり、普段なら自宅でのんびり過ごすところだが、その日の彼は違った。自動販売機の近くまで行き、張り込み調査をすることにしたのだ。

なんて暇な人だろうと思うかもしれないが、身近な友人たちはすでに家庭を築き、付き合いも随分減ってしまった。最近はもっぱらダラダラと過ごすことも多く、むしろ有意義な時間の使い方ともいえる。

数時間の張り込みの末、購入した九名のうち当たりが出たのはまさかのゼロだった。故障が直ったのだろうかと彼も購入してみるが、無情にもピコーンピコーンと音が鳴り響いた。

つまり、彼以外は当たらないのに、彼の時だけ当たるという衝撃的な結果となった。安心するために決行したはずの張り込みが、不安な気持ちを一層強めることになり、もはや不安は悩みへと姿を変えていた。

そして、悩んで悩んで彼が導き出した答えは、もうこの状況を楽しんでしまうという悟りの境地であった。当たり続けることを受け入れたのだ。

こうなってしまえば、もはやいいこと尽くしだった。一本分の金額で二本の飲み物を手に入れる生活がスタートすることになる。平凡な人生が一転、特別な人間にでもなったような気分であった。

いつの間にか当たることこそが彼の日課になっていた。

そんな生活が一年続いた頃、何の前触れもなく突然当たらなくなった。最初は見間違いかと思った。しかし、そうではないことはすぐにわかる。その証拠にボタンは再度点灯することはなかった。

居ても立ってもいられず、もう一度お金を投入してみたが、結果は同じだった。一体どうなっているのだろうと、取り出したエナジードリンクを持つ手が震えていた。

その後は来る日も来る日も当たらない。今まで当たっていたのが、まるで夢かまぼろしであったかのようだ。毎日ガッカリし、いちいち損をした気分で過ごすようになり、彼にとっては何ともつまらぬ毎日へと変わってしまった。