にもかかわらず、老人は、自分の周囲を一度大きく見回して、深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。

「実はな、わしは、過去に神通力とやらを授かったんじゃ」

老人は、有三が仰天しているか否かを窺って、これから聞かせようとする話が、さらに、驚愕の淵へと誘(いざな)うことを確信しながら次へと続けた。

「わしは、時間を思うたところで操作することができる。ただし、それは、百分の一秒だけじゃがな。短いとお思いか。だったらお主、この世の時間が百分の一秒でもずれたなら、周りのものがどうなるか想像したことがおありか。

存じていようが、時というものは、一分一秒が、はっきりと一つ一つ細かく分かれているものではない。川の流れに似て、途切れることなく過去から現在、そして未来へと振り返りもせずに絶え間なく流れておる。

そこには一分の間隙すらない。一時を何時、何分、何秒と刻んで表すは、人間が勝手に作り出したいわゆる、方便に過ぎぬ。時刻なるものは、川面に浮かぶ笹船の如く、その一時の目印とはなっても、やがて流れに乗って見えなくなってしまう。

過ぎ去りし時は、二度と戻ってはこない。しかし、このわしは、そのような時の流れに堰を設けて、百分の一秒というまことに瞬く間もない短さではあるが、これを繰ることができるのじゃ。

事を起こそうが、この短さでは、誰一人気付く者はいない。ただし、どんなに時間のずれが短くとも、それによって生ずる結果というものは、この世を大きく変えてしまう危険性を孕(はら)んでおる。

だから、幾ら熱心に頼まれようと、このわしでも、できぬこと、いや、やってはならぬことがたくさんあるのじゃ。既に世の多くの者が歴史的事実として認知しているものには、手が出せん。その後の世界が変わってしまうからな。

第一、わしはその場で大勢の記憶を消し去るほどのエネルギーを持ち合わせてはおらぬのでな」

老人は、奥の棚からわりときれいな二つのグラスを持ち出してきて、粗末なテーブルの上に並べた。肩からぶら下げていた保温の効く水筒を傾け、そこに冷たい清水をなみなみと注ぎ入れたのである。一つを有三に勧めるや否や、喉が渇いていたのか、自分に注いだもう一つを一気に飲み干した。

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