塵芥仙人ごみせんにん

この時刻、人影はなく、周りは異様に静まり返っていた。そして、ゴミ山の中にできた薄暗がりの洞窟のような箇所を分け入った所に、集まった廃材を使用したのであろう、何ともお粗末な小屋が一つ建っていた。

それは、とても管理事務所などと呼ぶには憚(はばか)られる形(なり)であったが、大柄の男は、迷わずその事務所と思しき小屋に向かった。熱帯のような暑さに蒸されて、様々なゴミの臭いが入り混じって、吐き気を催すほどであった。

夫人が言っていた通り、朽ち欠けてボロボロになった木の扉が眼前に開(はだ)かったのである。ここが、ゴミ仙人の事務所に相違ない。

有三は一度大きな拳を振り上げるも、粗末な扉の薄さを察し、踏みとどまって優しくそれを叩いた。二度、三度と繰り返してみたが、中からは何の返答もなかった。

丁度、五度を数えた時だった。やっと奥からえらく迷惑そうな声がして、出てきたのは、赤銅色に日焼けした顔と体、それに禿げ上がった頭頂部の周りを銀髪が雲海のように取り囲んだ妙な髪形をした、卒寿を迎えるくらいの老人であった。

しかし、日頃から苛酷な労務によって鍛え上げられた筋肉、特に胸筋や上腕筋の如きは、有三のそれよりも遥かに盛り上がって見えた。さらに、眼球の深底から放たれしギラギラとした眼光は、とても鋭く不気味であった。

人が、この時分にここを訪ねて来る理由は一つ。老人は、黙って有三を奥にあるみすぼらしい古ぼけた椅子へと導いた。困惑した表情を隠すことができず切々と語る有三の話に、瞬き一つすることなく、聞き入っていた。

有三は、すべてを言葉にした。特に、失せたUSBがこのまま見つからなかったらば、今日までこつこつと築いてきた地位も名誉もすべて失ってしまう。

特に、自分をひたすら信じて何十年も連れ添ってくれた妻、自分のことを尊敬の対象として慕い続けてくれた娘たちと、今後どのような面を下げて生活を共にしたらよいのか、途方に暮れてしまう。

さらには、今日まで自分を支えてくれた職場の仲間も苦しませる。そして、自分はもちろん、所属機関全体が責任を取らされることを切々と訴えた。

その間、老人は、何一つ問うこともなく、眉一つ動かさずに、ひたすら有三の話に耳を傾けていた。彼が一通り話し終えると、しばらく沈黙が続いた。

それから老人は、信じるにはあまりにも荒唐無稽な話を語り始めたのである。

「わしが、これから申すことを信じようが、信じまいが、それはどうでもよい。ただ、お主が奇跡を望むのであれば、わしとの約束を決して違えてはならぬぞ」小屋には、この老人と有三の二人しかいないのは明らかであった。