喧嘩にはならない。島育ちで悪い人を知らないでここまで生きてきた智子には人を疑うという見識がとても低いのだ。
「まあ、お茶でも淹れましょう」
「お茶はいいから酒だ。酒。お前がつまらんこと言うから酒飲まなきゃいけなくなったじゃないか」祐一は、怒っても言い返してこない智子に対して今後、エゴイスティックな言動がどんどんエスカレートしていくことになる。
月日は流れた。恵理は中学2年生になっていた。沖ヶ島は少子高齢化が進み、沖ヶ島小中学校という名称で統合されていた。
この頃になっても祐一はやはり船に乗る勇気はなく、陸からの釣りを続けていた。島の漁師の中には、祐一が船に乗らないなら「船を売ってくれ」と提案してくる者もいた。祐一はそう言われること自体、恥ずかしく思った。漁師のプライドを決して捨てることができず断り続けていた。
だから、船は陸に上がったままで何の役目も果たしていなかった。当然、月日が流れているから船もそれなりに傷んできた。それでもローンの支払いだけ続けていた。
智子は何故、祐一が船を手放さないのかその理由は薄々感じていた。祐一はますます意固地になり、気に食わないことがあると頻繁に智子に手を上げていた。DVだ。
祐一にしてみれば、妻智子にすら勘違いされていることに出口が見えなくなり腹を立てる。妻だけに逆に許せないのだと怒りの矛先をもろに妻に向けて手を上げることは常態化していた。
智子は、収入の減った分は雑木林を開墾して畑を増やして生活費を稼いでいた。恵理はそんな母を見かねて学校から帰るとすぐに智子の仕事を手伝った。
恵理は、小学校の頃、事故以来、父親の悪口と言えば「島の恥」だったが、船を海に出さないことから「臆病者の子供」と罵られていた。
こういう言い方は適切ではないが、敢えていうと恵理は成績が低い方であり、勉強が苦手だった。更に、母親に似て人を疑わない性格も加わり、生徒たちからよくからかわれていた。