正常に生まれ、育った人は、いくつもの壁に突き当たりながら成長し、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学まで、いくつもの壁を乗り越える。
卒後の長い人生、社会に入って、定年までのいくつもの壁、定年後の人生の最後までの壁、それぞれの分野の方が、どのようにして突破するか、説明も含めた本が多く出版されている。
平均寿命が延びるに従って、自分が設ける壁は70歳の壁、80歳の壁、90歳の壁、100歳の壁、それ以上にも設定できよう。
最近この種の著作が出版されている。和田秀樹『80歳の壁』(幻冬舎、2022年)、壁までの心得などが、説明されている。
その筋の専門家の意見は重要である。勿論、健康寿命は、平均寿命より、約10年下まわる。私は特に自分の年齢の壁を設けていない。長兄は100歳で他界した。
認識
家そのものが壁を作る。特に、新型コロナで外出しにくくなり、家に閉じこもる時間が長くなった。壁を抜けて外に出ると、皆さんマスクで、話も控える。これは、大きな壁である。意思疎通に欠けるところがある。
レストランに入れば、客との間に、何らかの仕切りがあり、これ自体、壁と言える。この生活が、いつまで続くのであろうか。家自体が壁、外に出れば、世界は壁で仕切られている。日常生活が壁の中で息をひそめている感じさえする。
高齢ともなり、自分の家の外に別荘を持つようになった。自宅はマンションで壁に囲まれているが、別荘では開放的。周囲は広く、木以外に遮るものはない。ここには壁が存在しない。
家の周囲には落葉松、白樺、赤松などがあり、500坪は自由に動き回れる。道に出れば、同じような広さで様々なデザインの別荘が点在する。1、300mの高度、冬は使えないが、それでも永住する人が増えた。
初期に小さな小屋を建て、13年後に大きな別荘に建て替えた。蓼科近辺、霧ヶ峰も近く、八ヶ岳登山道入り口にも近い。何回通っただろうか。中央高速で簡単に行ける。仕事に差し障りのないように日時を決め、普通は2日ほど、夏場は1週間くらい、頭にある壁を消すように、ゆっくりした。
定年前に蓄積された疲れ、頭に入り込んだいくつもの壁は、定年後の半年の別荘通いで、きれいに取り払われた。別荘には中央高速を小淵沢で下り、公園道路を使うことが多かった。
秋には道路両側の落葉松が見事に黄色の葉で埋まった。これだけで来た甲斐を感じた。隣の駅、富士見の近くに堀辰雄記念館がある。一度出かけて休館だったが、敷地内に雰囲気を感じさせる古い建物が残されていると聞いた。
【前回の記事を読む】死後は誰もわからない、死はすべての壁を崩壊させ繋がりをもたらす。だから人と人はいつまでもつながっている